運命の準決勝、決勝の当日。
まず準決勝のマウンドにまーぼが登りました。
この日のまーぼは絶好調でした。
初回をわずか6球で押さえると、その後も相手打線をきっちりと抑え、6回の表を終わって67球を投げて散発の4安打で無失点。
まったく持って危なげない展開で、ベンチとしても点を取られる気がしなかった。
あとはこちらがいかにして点を取るか、なのだが、こちらの打線も同じく押さえられ、得点をあげることが出来ない。
そして迎えた6回裏。
3番のツーベースヒットを足がかりに、2アウト3塁の場面を作り出した。ここで打席には6番のまーぼ。
バッティングの得意ではないまーぼはこの試合もここまで2打席凡退。
カウント2ナッシングからの4球目。まーぼの振り抜いたバットからまたも右方向の打球が飛んだ。
打球はライトの右に転がっていく。必死に走るまーぼ。ライトが打球に追いつきファーストへ。
セーフ!!
ようやく待望の得点が入った。
こうなればこちらのもの。あとは最終回、相手の攻撃を抑えるだけ。
こういう状態の時のまーぼはすごい。わずか4球、ピッチャーゴロ、セカンドフライと簡単に切ってとり、あっという間にツーアウト。
そしてこの日の72球目を相手が打ち上げた。打球はセンターへ。センターには5回の代打から入ったキャプテンS君が。
高く舞い上がった打球。その落下地点に難なく追いついた。
「オーラーイ!」大きな声を出して、S君ががっちりと打球をつかんだ。
3アウト!!
こうして我がチームは決勝戦に駒を進めることとなったのである。
準決勝の終了から30分後
決勝の相手はこれまで何度も対戦したことがある隣の市の強豪チーム。
強力打線が売りで、特に1、3、4番は体も大きく、まーぼも過去にホームランを打たれたことがある。
この大会ではピッチャーの投球イニングの規定はない。まーぼがもう一試合投げても問題はない訳だ。
しかしまーぼは気持ちで投げるタイプ。
以前からそうだったが、1対0の試合を投げた後は脱力してしまうことが多かった。
この日もそれは変わらなかった。次の試合にまーぼが投げることは出来ないだろう。
準決勝がもう少し余裕のある展開だったら良かったんですが。
監督もそれをよくわかっている。連投させて本来とはかけ離れた投球をしたことがあったからだ。
そんなこともあって、決勝の先発はO君。球は速くないがコントロールが売りで、緩急を使ったピッチングが得意なタイプだ。
しかし決勝の相手は強力打線。その緩急が通じない。
先頭打者に3ベースを打たれたのを皮切りに初回で3点を失ってしまった。
ところがエースを立てられないのは相手も同じ。
その上前の試合で抑え込まれた反動か、こちらも打線が活発。さきほどの試合とはうって変わって打ちまくり、初回で簡単に3対3の同点に追いついた。
2回表。同点に追いついた後だけにここは抑えたい所だが、先発O君が先頭打者に四球を与えてしまった。
ここでたまらず監督がタイムを掛けた。内野陣を集めて何か話をしている。
監督の顔がまーぼの方に向く。一言二言話しかける。うなずくまーぼ。
ここで監督が選手の輪を離れ、審判のもとに歩み寄った。
そしてまーぼとキャッチャーのM君がベンチに戻ってくる。
そしてM君がレガースを外し、まーぼに手渡した。
M君がマウンドに向かった。そして防具をつけ終わったまーぼが駆け寄った。M君とちょっと会話を交わしてからホームプレートの位置についた。
6年生のこの時期、まーぼは155cm。身長はチーム内では一番高かった。
だからかどうかわからないが、初挑戦ながらキャッチャー姿が意外に似合っていた。
とはいえ、そんな悠長なことを言っていられる状況ではない。
しかも相手は何度も対戦しているチーム。
まーぼはエースでサード。キャッチャーが本職ではないということをよくわかっている。
さっそく「パスボールあるぞー!」というヤジが飛ぶ。
しかし普段、マウンドからキャッチャーS君を見てきた。だからキャッチャーで必要なことはわかっていた。
まーぼがこのとき意識したのは、
『声を出すこと』
『後ろに逸らさないこと』
この2点だけだったという。
実際、よく声も出ていたし、後逸も変わったばかりの、この回に2つしただけだった。
さて、初挑戦ながらキャッチャーの重責をなんとかこなしているまーぼではあったが、相手の強力打線を完全に抑え込むことは出来ない。連打で3点を入れられてしまった。
しかしその裏。こちらも連打と連続四球で5点を返して大逆転した。
その後、3回、4回は両チーム無得点。
5回に長打で1点差まで詰め寄られてしまったが、その裏のこちらの攻撃が終わったところで規定時間となった。
8対7で試合終了。
両チーム整列。今となっては見慣れた光景だが、この時、初めてキャッチャー姿でその列に並んだ。
これは試合後の聞いたのだが、監督は内野手を集めた時、
「このあとのピッチャーはMで行く。まーぼ、キャッチャーをやってくれ。出来るか?」
と話したそうです。
それに対し、まーぼは迷うことなく
「はい。出来ます。」と、即答したという。
このときの気持ちを、当時書いていた『父とまーぼの野球ノート』にこう記している。
『生まれて初めてキャッチャーをやった。それも決勝戦でだ。どうしてこんな事が出来たんだろう。S監督から「出来るか?」と聞かれて、迷わなかった。迷わず「はい」って答えていた。それは決勝戦だったからかも知れない。本当はピッチャーが出来れば良かったんだけど、○○(準決勝の相手チーム)の試合でピッチャーとしては力を使い果たしてしまった。でも勝ちたかった。そのために必要だと思ったから。そして勝った。これはすごいことだ。』
あれから数日後、放課後の校庭でキャッチャーをやるまーぼの姿があった。
遊びでも野球しか知らないバカチンどもは、放課後も毎日野球をしていた。
そんなときでもまーぼはピッチャーか内野手しかやっていなかったのだが、あの経験でなにか思うところがあったようだ。
実際、しばらくしたあと
「キャッチャーも面白いよね」
なんて言っていたこともあった。
しかしその後、小学校時代は再度マスクをかぶることはなかった。
その分、中学生になった今、存分にキャッチャーの面白さ、奥深さを感じている。
あの日、小さく目覚めた思いがあったから、すんなりとキャッチャーに挑戦できたのだろう。

そんな試合でキャッチャーを務めたのですから、面白さに目覚めたのは当然かもしれませんね。
それにしても最後の写真、池山選手から直接トロフィー、うらやましいです。
シニアではキャッチャー、高校で再びピッチャー。そんな流れになるのかな?^^
以前から言っていますが、ピッチャーとしての素材を活かしてほしい気持ちを、私はずっと願ってます。
高校でピッチャーなら、受けるキャッチャーはうちのゲンジです^^
「やれ」という指導者の肝もなかなかですが、「はい」と即答したままーぼくんのキ○タマもなかなか・・・(^_^;;
「キャッチャーも面白いよね」
うちの長男はそう感じはじめるまで時間がかかりました・・・
しびれる場面での指導者と選手の信頼関係。見事です。私もコーチの末席におりますが、「行けるか」「はい」というような関係を目指して頑張りたいと思います。まーぼくんかっこいいです。
またお邪魔させて頂きますので、よろしくお願いします。
息子は3年生が引退後すぐに正捕手デビュー(選手不足のため)しましたが、その頃は落ち着いて試合を見ることができませんでした。「パスボール」怖かったです。思い出すだけで、冷や汗ものです。
うらやましいです!
投手の経験があるからこそ、度胸もついているのでしょう。また、バッティングが得意ではないとありますが、だからこそ自分の得意な守備には自信があるんでしょうね。
でその後、小学生ではキャッチャーやらなかったんですか?
監督はこのあと、まーぼ君でいくとありますが?
楽しんでいただけたようで良かったです。
閉会式後、監督が池山氏に確認したところ、S君が開会式で言った優勝宣言をしっかり覚えていたそうです。
実は選手達は実際のブンブン丸の活躍をほとんど知らないんですよね。喜んでいたのは父兄ばかりでした。(^^)
正確にはリードの面白さを感じたようです。
投げている時にもリードのことはちょっとは考えたりしていたものの、基本的にはS君のリードに100%任せてましたから。
今ではそのリード面で心底大変な思いをしてますけどね。
この時の監督の決断。要は肩の強さを考えてのことだったんです。
普段捕手をやっているS君以外ならだれが捕手をやっても二盗は防げない。しかし三盗は防がなきゃいけない。まーぼならあわてなければ三盗は防げる。それ以前に相手も警戒してそこまでは仕掛けてこないだろうと読んだんです。
予想通り、三盗はされませんでした。変わって早々、2塁へノーバウンドで投げたのが効いたみたいですね。
まーぼのピッチャー復帰、そしてゲンジ君とのバッテリーは望むところですよ。ゲンジ君ほどのバッターがチームにいたら心強いですからね。^ ^
ウチの指導者はほとんどお父さんコーチです。そして指導者持ち上がり制を採用しているので、まーぼ達との付き合いもこの時点で6年目でした。そんなことが関係していたかも知れません。
ですが、期間ではなく、心底信頼し、心をぶつけていけばそんな関係を築けると思います。
四十肩コーチさんもそんな関係を作ってくださいね。
初キャッチャーというのは確かにすごいことですが、私はピッチャーの方が心臓に悪いんで。
本人もその時はそんなに深刻に考えてなかったようです。試合後、時間が経ってからじわじわ事態のすごさを感じて来たみたいです。
確かにおっしゃるように、守備、特にゴロの処理には自信があったんで、だからこそパスボールに対してもさほどの不安が無かったのかも知れません。
まーぼの捕手というのはこの試合限定の案でした。S君が捕手に復帰したのはこの翌月初旬ですが、それまではずっとM君が捕手で、まーぼはピッチャーに専念してました。この試合の翌週から復帰までの間に公式戦を4試合戦いましたが、2試合は完投、残り2試合はO君の救援で事なきを得ました。
S君復帰後は、卒団までピッチャーとサードオンリー。それほど信頼出来る捕手だったんです、S君は。