2008年07月18日

故障に負けないで欲しい  再録

つい先日、我がチームで故障が直らないからと2年生が1人辞めてしまいました。とても残念な事です。

その子のためという訳ではないんですが、こうした事の予備軍が他にもいるのではと、以前私がブログで書いた記事をチームのブログに載せました。
せっかく再編集したので、こちらでも再録しちゃおうかなと思いまして。
以前読んだという方も、近況も書いてありますので良かったら読んで下さい。



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彼の名はQ君と言います。現在は高校2年生になっています。
私の息子がこのチームに入った時、その頃すでにQ君は膝を痛めてグランド内ではプレイしてませんでした。

オスグットです。

私はオスグットという言葉をこのときに初めて知りました。
それこそ、成長痛の正式名称(?)程度の認識しかありませんでした。
成長痛なんだから、やりながら痛みが消えるのを待つしかないのでは、無責任にもそう思ってました。

しかし、オスグットってそんな簡単なものではなかったんですね。
次第に息子の代でもオスグットで休む選手が出始め、その親御さんと話をする内に少しずつ知識が増えていきました。

依然としてQ君は全力で走れない日々が続いていました。しかし彼は練習を休むことをしませんでした。
故障しているのですから、他の選手と一緒に練習することはありません。
時には一人で土手の上を歩くだけ。そんな日々が続いていました。

そんなある時、隣のサッカー場でティーバッティングをしているQ君を見掛けました。
すごくきれいなバッティングフォームなんです。
体格はそれほど大きくないですが、フォームだけは当時の2年生を見回してもトップクラス。
そう思えるほどきれいなフォームでした。
だからこそ彼が野球をやれないのが勿体ない。
しかし考えられないほど長い期間、彼は故障者として別メニューをしていました。
時には『本当は治っているけど戻るのが怖いのでは』と酷いことを思ったこともありました。
そうこうしている間にも時間はどんどん過ぎていき、2年の秋を終え、彼にとっても残された大会はあと二つというところまできました。

この頃には、試合に出られなくてもいいから、ともに戦力として戦えるようになって欲しい、切に願うようになりました。
そしてそう考えるのは私だけではなかったようでした。
少しずつ練習に参加し始めたQ君に対し、総監督や監督がしきりに声を掛け、オープン戦でも使うようになりました。

最初の内はやはり試合勘の問題もあるでしょう、素晴らしい結果を出すことは出来ませんでしたが、次第にそのシャープなバッティングが出始めました。
過ぎた時間を埋めるように結果を出し始めたQ君でしたが、やはりレギュラーとの差を詰めるところまではいかず、スタメンを取るまでは行きませんでした。
それでも代打要員としてはトップクラスの信頼を得ていたと思います。

そして3年生になり、最後の大会、関東連盟夏季大会が始まりました。
2回戦からスタートとなった我がチーム。
自慢の打線を武器に着実に勝ち進んでいき、ついには全国大会出場を勝ち取った訳ですが、その打線のムードを上げ、まさに火付け役になったのが私はQ君だったのではと思っています。

2回戦だったか、3回戦だったか、正確に覚えていなくて申し訳ないのですが、中盤に相手を追い越し上げ潮ムードになったとき、代打にQ君が告げられました。
私はもちろん、特に3年生の父兄がものすごい応援の声を上げました。
Q君のこれまでの頑張りを私よりも長く見続けてきた父兄達ですから、思い入れが強くなるのは当たり前です。
そんな声援を背に、Q君はきれいなセンター前ヒットを放ち、貴重な追加点をあげたのです。
父兄はまるで勝利したかのような大騒ぎでした。中には涙ぐむお母さんもいたくらいです。
残念ながらその時にお母さんは都合で試合を見に来ていませんでした。
試合が終わったあと、慌てて駆けつけたお母さんにみんな口々に
「何やってるのよ。今日Qが試合に出てタイムリーを打ったのよ。見に来なきゃダメじゃない!」
と嬉しそうに報告しているのが印象的でした。

夏季大会も勝ち進み、あと1試合勝てば全国出場決定と言うところまで来たとき、その出場決定の鍵となる試合に遠征しました。
Q君のお母さんも今度はちゃんと試合を見に駆けつけました。
しかも私の車の助手席でした。試合会場へは1時間以上掛かる距離ですから、その間色々話をしました。
その時、こんな親子での会話を教えてくれました。

「こんなに野球が出来なくて辛い思いをするなら辞めてもいいんだよ」そう言ったお母さんの言葉に対しQ君はこう答えたそうです。


「試合には出られないけど、野球は出来てるから」


彼にとっては、土手を歩くのも、サッカー場でストレッチするのも、それら全てが野球だったのです。
私はその時、彼はなんて強い選手なんだろう、心底思いました。
彼がこんな思いを持っているから、だからこそ他の父兄もみんな熱い気持ちで応援するんだと改めて気付かされました。

菅井総監督は以前からこんなことを選手や父兄に言っています。

「野球が好きなんですか? それともレギュラーが好きなんですか?」

素晴らしい言葉なんですが、それもグランド内で戦ってこそ。
故障していたらそれも出来ない、そう考えていましたが、彼は心底『野球が好き』なんですね。

この日の試合は惜しくも1対0で敗れてしまいました。
それも自慢の打線を完璧に封じられ、わずか2安打で3塁すら踏めない状態でした。
それでも最終回、2アウトからヒットが飛び出し、最後のチャンスが出来ました。
ここで監督が代打に送ったのがQ君でした。
正直彼よりも打力がある体の大きい選手は何人かいました。
それでも監督が彼を代打に送ったのは、彼がヒットで続けばチームにとってそれが一番ムードが上がるから、そう考えたのではと私は推測しました。残念ながらその場面で彼はヒットを打つことは出来ませんでしたけど、それほど信頼される選手になっていたのです。

遠征先に向かう車の中でQ君のお母さんから、彼は小学生時代から走るのが好きで、走力が自慢の選手だったということを初めて聞きました。
自慢の武器を封じられ、1年半もの間、地道なトレーニングを続けることが出来る。
それほど強い精神力を持った選手がどれほどいるでしょうか。
きっと泣き言を言っていた時期もあったでしょう。しかしそれでも彼は野球を辞めなかった。

だからこそ彼のことを野球の神様は見捨てなかったのだと思います。


日本選手権の2回戦。大田スタジアムでの山梨都留戦で彼は代打に立ちました。
強く振り抜いた打球はレフトの頭を越え、レフトスタンドに向けて転々と転がっていきます。
彼は自慢の足を飛ばして、1塁、2塁と回っていきます。
3塁に到達しようかと言うとき、ようやくレフトが打球に追い付きました。
ランナーコーチャーは躊躇無く腕を回しました。
さらに加速した彼はそのまま一気にホームに滑り込みました。
これがチームにとって貴重な貴重な追加点となり、我がチームは2回戦を突破することが出来ました。

公式戦初ヒットのあの時と同じく、応援席はお祭り騒ぎ。
そんな中、ビデオカメラを手に一人涙を流すお母さんの姿がありました。
その時彼女の胸にどれほどの思いが去来したのか、想像すら出来ません。

チームには今、故障で苦しんでいる選手が数多くいると思います。
全ての選手にQ君のような幸運が訪れるのかは分かりません。

しかし、野球の神様はきっといる、全ての野球選手を見ている。私はそう思います。

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この記事を書いてから月日が流れ、彼は高校生になりました。
苦しい思いが多かったシニア時代。Q君はそれを乗り越え日本選手権という晴れの場でホームランを打ちました。
私はそれをきっかけにこの先の彼の野球人生は素晴らしいモノになるだろうと確信していました。

しかし野球の神様はまたも彼に苦難を与えました。
夏の大会が終わり3年生が引退。1年生の彼にもチャンスが回ってくる。そんな時期。
お母さんから「オスグットが再発してしまった」というメールが届きました。
ようやくオスグットを克服し、中学時代に溜め込んだ野球への思いは高校野球にぶつけることになるのだろう、そう思っていました。それが実現しようと言うときにまたも大きな試練。ものすごくショックでした。
「希望を失うことなく前を向いていて欲しい。今でもQ君を応援しています。」という返事を返すのが精一杯でした。

そのメールから2ヶ月あまり経ったつい先日。お母さんからメールが来ました。
かつてはオスグットを治すために、大学病院、気功・整体、スポーツ整形、針などありとあらゆる治療を試してきたQ君。
そんなQ君についに明るい光を刺してくれる人が現れたと言うんです。
鍼灸の先生と言う事ですが、『野球をやりながらでも治せるよ』と言ってくれて、今は週に一度の治療を行いながら、フルで練習に参加しているそうです。
もちろん完治には至っていないし、冬場にはまた悪化する可能性もあるとか。
しかし先日、あの日本選手権以来、1年数ヶ月ぶりにQ君が試合の打席に立つ事が出来たそうなんです。しかも2試合フル出場。
言葉の端々からお母さんの明るさが伝わってくるような、すごくうれしくなるメールでした。
この冬は減ってしまった体重を戻すためにたくさん食べさせなきゃなんて書いてありました。
今まで以上に前向きになったお母さんの言葉に、ついついメールを読みながら顔がほころんじゃいました。
それもこれも諦めず、Q君に合う、信頼出来るドクターを捜し続けてきたQ君一家の努力のたまものだと思います。

Q君は現在2年生。この夏、チームの2年生では唯一メンバーに選ばれたそうです。
3年生中心のチームですから、彼の出番がどれほどあるかは分かりませんが、きっと彼はこれまで同様全力で取り組んでくれると思います。甲子園に出場するだけが高校野球の醍醐味ではありません。
それを目指し、全力で打ち込んだその時間が全てなんだと思います。

怪我で苦しんでいるスポーツ選手ってすごく多いと思います。
でも諦めてしまったらそこで終わり。前を見続けて歩いていく。それが出来ればいつか必ず道は開ける。
そんな事をQ君とお母さんから教わりました。



posted by かに at 16:05| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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