2014年11月28日

素晴らしい先輩

シニアに関わって10年近く経ちますが、その期間に見てきた多くの選手の中にも個人的に好きな選手というのがいます。
その中でもベスト3に入る選手の事を今回は書きたいと思います。

その選手は息子の一学年上の先輩、橋本球史君です。
実はその球史君が今回、四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに2位指名されたんです。

球史君の事はこのブログでも二度ほど記事にしたことがあります。
1度目はまーぼが中学二年生の時。
チームを支えてくれた三年生の卒団を間近に控えた時期でした。

中学時代の球史君は毎週グランドに行っていた私ですらグランドでプレーする姿をほとんど見たことが無かったくらい、オスグッドに苦しんできました。
同級生、後輩たちがグランドで野球をする傍らで、走ることすら出来ず、ただひたすら、隣のサッカー場や土手上を歩き続けている姿をいまでもはっきり覚えています。
普通の選手ならとっくに諦めて野球を辞めてしまうくらいの長い時間、ただひたすら歩き、出来ることにしっかり取り組んでいた球史君。

そんなひたむきな球史君に野球の神様は輝ける場を与えました。

中学生最後の夏の日本選手権でした。
初戦で関西No.1チームを破った我がチーム。
二回戦で山梨のチームと対戦しました。会場は大田スタジアム。
人工芝の綺麗な球場です。
そんな綺麗な人工芝の上を球史君が放った打球がグングンと飛んで行きました。センターの頭を超えて行く中、球史君は地道に鍛えた足を生かしてランニングホームラン。
スタンドの父兄は歓喜と言うより感涙の渦でした。(その当時の事は『ありがとう三年生2』に書いています。良ければぜひ。)
その後球史君は私立高校に進学。当然野球に打ち込んでいたんですが、再びオスグッドが球史君を襲いました。
彼にとっては辛すぎる出来事だったと思いますが、そんな時彼は「やりながら直そう」と言ってくれる医師と出会いました。(この当時の事は『Qmamaさんからのメール』に書いています。良ければぜひ。)
これが球史君にとってどれ程の光明だったかは想像に難くありません。

高校野球を引退したあと、彼は大学でも野球を続け、主軸として活躍しました。
普通は大学四年生ともなれば就職との兼ね合いで野球を離れていく人が多い中で、彼は決して諦めなませんでした。
野球を引退して就職と言う道を選ばず、スポーツ系の専門学校に所属して野球を続けるという道を選びました。
かつてのチームメイトのほとんどが就職していく中で、この決断は彼にとっても親にとっても簡単なことでは無かったと思う。

その道を選んだ彼の諦めの悪さに感服するが、その選択を認めて後押しした親御さんにも感服しています。
そんな諦めの悪さが導き出した一つの結果が、今回の独立リーグからの指名だったと思います。
私も息子もただただ、すげえなー、という言葉しか浮かびません。
どんなに故障で苦しんでも野球を好きでい続け、プレーヤーであり続ける事にこだわり、プロと言う道を掴み取った。本当にすごい事だと思います。

もちろん彼の野球への執念はここが終着点ではないはず。
いつの日か、NPBの指名を勝ち取る時が来るかもしれない。
いや、そんな日が来ると私は信じています。

そして心の底から彼を応援しています。
posted by かに at 22:41| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする