2006年11月30日

3年生ありがとう 2

昨日のR君と共に、強く印象に残っている3年生がQ君です。
先日、『また痛めました』でコメント頂いたQmamaの息子さんです。

私がQ君に会ったのは息子がシニアに入ってから。
ポジションはR君と同じくセカンドを守っていたんですが、すでにその頃には彼は膝を痛めてグランド内ではプレイしてませんでした。

オスグットです。

私はオスグットという言葉をこのときに初めて知りました。
当然知識もありませんでしたし、まったくオスグットのことを理解してませんでした。
それこそ、成長痛の正式名称(?)程度の認識しかありませんでした。

成長痛なんだから、これといった根本治療がある訳ではない、やりながら痛みが消えるのを待つしかないのでは、無責任にもそう思ってました。
自分の息子がなった訳ではなかったから、真剣に調べることもしてませんでした。

しかし、オスグットってそんな簡単なものではなかったんですね。
次第にまーぼの代でもオスグットで休む選手が出始め、その親御さんと話をする内に少しずつ知識が増えていきました。

そうするうちに私はQ君に興味が出てきました。
その後もオスグットのために全力で走れない日々が続きました。
しかし彼もR君と同じく休むことをしませんでした。
故障しているのですから、他の選手と一緒に練習することはありません。
時には一人で土手の上を歩くだけ。そんな日々が続いていました。

ある時、隣のサッカー場でティーバッティングをしているQ君を見掛けたときに驚きました。
すごくきれいなバッティングフォームなんです。
体格こそそれほど大きくないですが、このフォームで打つことが出来ればきちんとしたバッティングが出来るだろう、そう思えるほど良いフォームでした。当時の2年生を見回してもトップクラスのフォームだと思いました。

だからこそ彼が野球をやれないのが勿体ない。
そう思えるほど長い期間、彼は故障者として別メニューをしていました。
時には『本当は治っているけど戻るのが怖いのでは』と酷いことを思ったこともありました。
そうこうしている間にも時間はどんどん過ぎていき、2年の秋を終え、彼にとっても残された大会はあと二つというところまできました。

この頃には、試合に出られなくてもいいから、ともに戦力として戦えるようになって欲しい、切に願うようになりました。
そしてそう考えるのは私だけではなかったようでした。
少しずつ練習に参加し始めたQ君に対し、総監督や監督がしきりに声を掛け、オープン戦でも使うようになりました。

最初の内はやはり試合勘の問題もあるでしょう、素晴らしい結果を出すことは出来ませんでしたが、次第にそのシャープなバッティングが出始めました。
過ぎた時間を埋めるように結果を出し始めたQ君でしたが、やはりレギュラーとの差を詰めるところまではいかず、スタメンを取るまでは行きませんでした。
それでも代打要員としてはトップクラスの信頼を得ていたと思います。

そして3年生になり、最後の大会、関東連盟夏季大会が始まりました。
2回戦からスタートとなった我がチーム。
自慢の打線を武器に着実に勝ち進んでいき、ついには全国大会出場を勝ち取った訳ですが、その打線のムードを上げ、まさに火付け役になったのが私はQ君だったのではと思っています。

2回戦だったか、3回戦だったか、正確に覚えていなくて申し訳ないのですが、中盤に相手を追い越し上げ潮ムードになったとき、代打にQ君が告げれれました。
私はもちろん、特に3年生の父兄がものすごい応援の声を上げました。
Q君のこれまでの頑張りを私よりも長く見続けてきた父兄達ですから、思い入れが強くなるのは当たり前です。
そんな声援を背に、Q君はきれいなセンター前ヒットを放ち、貴重な追加点をあげたのです。
父兄はまるで勝利したかのような大騒ぎでした。中には涙ぐむお母さんもいたくらいです。
残念ながらその時にQmamaは都合で試合を見ていなかったと思います。
試合が終わったあとに駆けつけたQmamaにみんな口々に
「何やってるのよ。今日Qが試合に出てタイムリーを打ったのよ。見に来なきゃダメじゃない!」
と嬉しそうに報告しているのが印象的でした。

夏季大会も勝ち進み、あと1試合勝てば全国出場決定と言うところまで来たとき、その出場決定の鍵となる試合が先日行った佐◎シニアに遠征して行われました。
Qmamaも今度はちゃんと試合を見に駆けつけました。
しかも私の車の助手席でした。試合会場へは1時間以上掛かる距離ですから、その間色々話をしました。
その中に先日コメントいただいたQの話もありました。

こんなに野球が出来なくて辛い思いをするなら辞めてもいいんだよ、と言ったQmamaの言葉に、

「試合には出られないけど、野球は出来てるから」

彼にとっては、土手を歩くのも、サッカー場でストレッチするのも、それら全てが野球だったのです。
私はその時、彼はなんて強い選手なんだろう、心底思いました。
彼がこんな思いをもっているから、だからこそ他の父兄もみんな熱い気持ちで応援するんだと改めて気付かされました。

コメント欄にもある総監督の言葉で

「野球が好きですか?レギュラーが好きですか?」

と言う言葉もグランド内で戦ってこそ、故障していたらそれも出来ない、そう考えていましたが、彼は心底『野球が好き』なんですね。

この日の試合は惜しくも1対0で敗れてしまいました。
それも自慢の打線を完璧に封じられ、わずか2安打で3塁すら踏めない状態でした。
それでも最終回、2アウトからヒットが飛び出し、最後のチャンスが出来ました。
ここで監督が代打に送ったのがQ君でした。
正直彼よりも打力がある体の大きい選手は何人かいます。
それでも監督が彼を代打に送ったのは、彼がヒットで続けばチームにとってそれが一番ムードが上がるから、そう考えたのではと私は推測しました。残念ながらその場面で彼はヒットを打つことは出来ませんでしたけど、それほど信頼される選手になっていたのです。

遠征先に向かう車の中でQmamaから、彼は小学生時代から走るのが好きで、走力が自慢の選手だったということを初めて聞きました。
自慢の武器を封じられ、1年半もの間、地道なトレーニングを続けることが出来る。
それほど強い精神力を持った選手がどれほどいるでしょうか。
Qmamaも少しコメントで書かれてましたが、きっと泣き言を言っていた時期もあったでしょう。
しかしそれでも彼は野球を辞めなかった。

だからこそ彼のことを野球の神様は見捨てなかったのだと思います。


日本選手権の2回戦。大田スタジアムでの山梨都留戦で彼は代打に立ちました。
強く振り抜いた打球はレフトの頭を越え、レフトスタンドに向けて転々と転がっていきます。
彼は自慢の足を飛ばして、1塁、2塁と回っていきます。
3塁に到達しようかと言うとき、ようやくレフトが打球に追い付きました。
ランナーコーチャーのS君は躊躇無く腕を回しました。
さらに加速した彼はそのまま一気にホームに滑り込みました。
これがチームにとって貴重な貴重な追加点となり、我がチームは2回戦を突破することが出来ました。

公式戦初ヒットのあの時と同じく、応援席はお祭り騒ぎ。
そんな中、ビデオカメラを手に一人涙を流すQmamaの姿がありました。
その時彼女の胸にどれほどの思いが去来したのか、想像すら出来ません。

まーぼもそうですが、全国には今、故障で苦しんでいる選手が数多くいると思います。
全ての選手にQ君のような幸運が訪れるのかは分かりません。

しかし、野球の神様はきっといる、全ての野球選手を見ている。私はそう思います。

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(ホームランになった一振り)
posted by かに at 02:11| 東京 ☁| Comment(22) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする