昨日は午後から紅白戦がありました。
まーぼはBチームの捕手として出場。指揮は総監督が取る。対するAチームは捕手の2年のK先輩。そちらの指揮は監督が取ることとなった。どちらのチームも先発投手は1年生が務めるだけにリードが大きく結果を左右することになる。これは面白いなぁ、とバックネット裏を陣取ってガッツリ見させてもらいました。
紅白戦ではヤジを飛ばし放題なのが我がチームのルール。下品なもの以外はオッケーとなっている。しかもそのヤジは選手だけでなく、指揮を取る総監督、監督も遠慮なしにバンバン飛ばす。
今回は総監督のヤジをじっくり聞きながら観戦していたら、これが面白いこと面白いこと。
総監督はキャッチャー出身。当然、相手チームのキャッチャーであるK先輩のリードには1球ごとにヤジが飛ぶ。もちろんそのヤジには教育的な要素が多分に含まれていたり、試される要素が含まれていたりと実に多彩。
例えば
打席にはチームで一番小さい1年生選手。マウンドには2年の速球派投手。当然外角低めの速球で追い込んでいく。バッターも何とか食らいついて当てるもののなかなかフェアグランドに入らない。
ここで総監督から「そろそろ内角に一球見せた方が良いんじゃないの?外ばっかりで良いの?」とヤジが。
このヤジにK先輩はどう反応するかなぁと見ていたら、ヤジを無視して外の速球を続けさせて見逃し三振。
結果的にバッターの方が総監督のヤジに影響されちゃったみたい。K先輩がヤジに釣られてインコースを投げさせてヒット打たれたら、きっとボロカスにヤジられたことでしょう。その点では釣られなかった先輩はさすがと感じました。
かたやまーぼの方は総監督のヤジに影響されまくり。というかヤジをそのまま素直に受けて、まるでラジコンで操縦されてるみたい。とはいえ、セオリーや相手を考えての深いリード戦術を直接指導されてる訳だから、浅い経験のまーぼのリードに多大な影響を与えたのは間違いない事実。
まーぼ自身も相当その手応えを感じた様で、バッティングの方では3の0だったけど、なんだか満足そうな顔してるし。
対外的なオープン戦での経験ももちろん必要だけど、こういう経験も今のまーぼにとってはすごく貴重。フルイニングマスクをかぶらせてもらったことを感謝しなくちゃ。
試合後、バッテリー組&足が遅い子限定でキッツイ走り込みが待っていた。
ライトからレフトまで延々10往復の全力疾走。午前中には30分間走、インターバル走もあったからこの日は一体合計何キロ走ったんだろうって感じ。でもこういう冬のトレーニングを越えることはすっごく重要だからね。
でも昨日はいつも以上にしんどかったみたい。家に帰った後も筋肉痛でもだえ苦しんでた。(笑)
歩くのすらしんどい筋肉痛も久しぶり。こういう姿は冬の風物詩・・・ですよね。
2005年11月28日
2005年11月25日
進化するデカ足サイボーグ
「父さん、スパイクがそろそろやばくなってきたよ」
何度聞いたかねぇ、そのセリフ。我が家にとって一番の消耗品がまーぼの靴関係。
その中で一番家計を圧迫するのが、言わずもがなのスパイク。
しかも日に日に一般的なサイズでなくなってくから、安売りが存在しなくなってくる。
そうは言っても買い替えない訳にもいかない。いいプレーをするためには足元は大事ですからねぇ。
ということで、本日買いに行ってきました。
買ったのは我がシニアの総監督が経営するショップ。ウチから決して近い店じゃないんですけどね。色々ある訳ですよ。ましてや最近は二年生と帯同することが増えてますからね。
金スパになって2足目。一時期に比べればだいぶペースは落ちましたね。半年で1cmですから。
さてさて、その買ったスパイクってのが、これです。

左にあるのは、26.0cmの俺のスパイクです。
並べてみるとこれだけデカいんですよ、29.0cmは。バカみたいでしょ。笑っちゃうでしょ。
今までアシックスにこだわっていたまーぼですが、今回は写真のようにZETTです。28.5cmだったらアシックスがあったんですけどねぇ。しかもそっちは安くなってたし。
結局、爪先部分がカンガルー皮になってるっていうこのスパイク、12000円(ピーガー込み)でした。
まぁ、これくらいの値段ならしょうがないかって感じです。
たぶん春になったら、これよりもうちょい高くていいスパイクを試合用に買わされそう。
でもそれより恐かったのは、まーぼがキャッチャーミットをリサーチしてたってこと。
俺は恐くて値段を見られなかったよ。
やっと届いた

待ちに待った『ANAチャリ』がようやく届いた!
折り畳めない中途半端なヤツだけど、それでも車には余裕で詰めそう。
今週末はこのチャリで河川敷にさっそうと登場だ!
2005年11月24日
松井秀喜は結婚するの?
昨日、スポーツ紙各紙を賑わせた『松井秀喜の熱愛報道』
なにせ4年62億円の男ですからね。その男が誰と結婚するのか。つねに注目されていたことですからね。
写真週刊誌記者としては先行出来なかったことが非常に悔しいんですが、まぁ出てしまったものはしょうがない。で、実際真実のところはどうなのか?どうだと思います?Ayigusさんからどうなの?ってコメントも頂いております。
正直に申します。私も分かりません。(笑)
詳しく聞き込んできた訳でもないし、着手すらしてませんから、一般人以上の情報は持ち合わせてません。
取材していないことはさほど知らないものなんですよ。役立たずでスイマセンねぇ。
ですから、今報道されていることから、真実がどこにあるか、その点の分析だけをしてみようと思います。
1 戸田菜穂が応援のために何度もNYに行っている
2 戸田は松井が手配したヤンキースタジアムの家族席で試合を観戦している
3 そのときに何度も一緒に食事している
4 現在戸田はフランス旅行中
5 松井も契約更改後、フランスに行っている
6 松井父に戸田菜穂を紹介済み
7 しかも流れでということではなく、「会って欲しい女性がいる」ということだった
8 これまではそのように、父親に女性を紹介したことはなかった
各紙に書かれていることをかいつまんでみるとこんな感じです。
どうですか?親密交際してることは間違いないことのようですね。
これまで日本にいるときから有名人、一般人含めて何人もウワサになった女性がいましたが、ここまで具体的な話が出たことは一度もありませんでした。相手の女性からすればもの凄い惹かれると思いますよ。なにせ超大物選手ですから。
ちょっと仲良くなって食事しただけで、『結婚相手か?』とか報道されたら、松井に気を使いつつも、それが既成事実になって本当にそうなって欲しいと望んでいた女性もいたでしょう。私自身も『これが結婚相手か』って女性を何人も取材していましたが、ほとんど決定的な瞬間を撮ることは出来ませんでした。実際にそこまで決意させる女性がいなかっただけなのかもしれません。現実、ここまで結婚せずに来てしまっていますから。
松井というのは非常に律儀な男です。野球においても妥協をしない男です。それは食事にもうかがえます。
安易に焼き肉屋に行ったり、女性とフランス料理にいったりする他の野球選手達とはまったく違います。
そして、ウチみたいな比較的嫌がられる取材方針の雑誌に対してでもちゃんと答えようと努力してくれる紳士です。
ですから帰国した時に、殺到したマスコミにそれなりに話はしてくれるでしょう。
しかしだからこそ、中途半端な状態で人に迷惑を掛ける様な発言は絶対にしませんね。
メジャーに挑戦した時と同じく、松井自身の中で確実な結論が出るまでは、結婚については語らないと思います。どんだけ親密交際していても、結婚することなく別れるカップルは世にごまんといますからね。
今はとにかく順調に交際が進んでもらいたいですね。
とにかく今後、世界が注目する様な場面をスクープすることを目指しますから。何度も松井選手には敗れていますが次こそはと熱意を燃やしていますよ!
なにせ4年62億円の男ですからね。その男が誰と結婚するのか。つねに注目されていたことですからね。
写真週刊誌記者としては先行出来なかったことが非常に悔しいんですが、まぁ出てしまったものはしょうがない。で、実際真実のところはどうなのか?どうだと思います?Ayigusさんからどうなの?ってコメントも頂いております。
正直に申します。私も分かりません。(笑)
詳しく聞き込んできた訳でもないし、着手すらしてませんから、一般人以上の情報は持ち合わせてません。
取材していないことはさほど知らないものなんですよ。役立たずでスイマセンねぇ。
ですから、今報道されていることから、真実がどこにあるか、その点の分析だけをしてみようと思います。
1 戸田菜穂が応援のために何度もNYに行っている
2 戸田は松井が手配したヤンキースタジアムの家族席で試合を観戦している
3 そのときに何度も一緒に食事している
4 現在戸田はフランス旅行中
5 松井も契約更改後、フランスに行っている
6 松井父に戸田菜穂を紹介済み
7 しかも流れでということではなく、「会って欲しい女性がいる」ということだった
8 これまではそのように、父親に女性を紹介したことはなかった
各紙に書かれていることをかいつまんでみるとこんな感じです。
どうですか?親密交際してることは間違いないことのようですね。
これまで日本にいるときから有名人、一般人含めて何人もウワサになった女性がいましたが、ここまで具体的な話が出たことは一度もありませんでした。相手の女性からすればもの凄い惹かれると思いますよ。なにせ超大物選手ですから。
ちょっと仲良くなって食事しただけで、『結婚相手か?』とか報道されたら、松井に気を使いつつも、それが既成事実になって本当にそうなって欲しいと望んでいた女性もいたでしょう。私自身も『これが結婚相手か』って女性を何人も取材していましたが、ほとんど決定的な瞬間を撮ることは出来ませんでした。実際にそこまで決意させる女性がいなかっただけなのかもしれません。現実、ここまで結婚せずに来てしまっていますから。
松井というのは非常に律儀な男です。野球においても妥協をしない男です。それは食事にもうかがえます。
安易に焼き肉屋に行ったり、女性とフランス料理にいったりする他の野球選手達とはまったく違います。
そして、ウチみたいな比較的嫌がられる取材方針の雑誌に対してでもちゃんと答えようと努力してくれる紳士です。
ですから帰国した時に、殺到したマスコミにそれなりに話はしてくれるでしょう。
しかしだからこそ、中途半端な状態で人に迷惑を掛ける様な発言は絶対にしませんね。
メジャーに挑戦した時と同じく、松井自身の中で確実な結論が出るまでは、結婚については語らないと思います。どんだけ親密交際していても、結婚することなく別れるカップルは世にごまんといますからね。
今はとにかく順調に交際が進んでもらいたいですね。
とにかく今後、世界が注目する様な場面をスクープすることを目指しますから。何度も松井選手には敗れていますが次こそはと熱意を燃やしていますよ!
2005年11月23日
野球か勉強か
まーぼの中学では明日から期末試験です。部活の方は先週木曜から休みになってます。
ですが、そんな事とは関係なくシニアはあります。まぁいつもの事ですが。
当然今日もあります。今日は横浜のチームとオープン戦。まーぼも当然河川敷に来ています。
今までと同じく2年生と共にベンチ入りしています。
今日のまーぼは、2試合目の最後に代走で出場。フォアボールやエラーで3塁まで進塁したけど、スクイズを外されタッチアウト。
そのまま1イニングだけキャッチャーをやりました。マウンドには1年生ピッチャー。バッテリーごと交代ってヤツです。ヒットも打たれず、パスボールも無し。これと言って評論すべきことはないんですが、とにかく少しでも経験出来て良かった。遠くまで遠征に行っても出場無しってこともありましたから、それに比べればちょっとでも経験出来ただけマシでしょう。
ところで、最初にも書きましたが明日からまーぼは期末試験です。
我が家では
『この日に試験があることは分かってたこと。その前日にシニアがあることも分かってたこと。だったらその日の分も他の日に勉強しろ』
ということになってますから、休むことはあり得ません。
前回の試験が悪かったですからね。今回悪かったらどうなるか、本人も自覚しているようで、そこそこまじめに勉強してるみたいです。
ところが見渡してみるとどうも今日は1年生の人数が少ない。ベンチ入りの1年生5人の内、今日は2人が休み。全体でも1年生はほぼ半分しか来ていない状態だった。まさかその休みが全員風邪とは思えない。おそらく試験のために休んでる子がほとんどでしょう。家庭によっては勉強を優先させるところもあるんですよね。まぁ公式戦じゃないですからね。そういう選択もあるとは思いますが。
それぞれ家庭の事情もあるんでしょうが、祝日に1日野球をやらずに勉強したって成績が上がるとは思えないんですけどねぇ。ホントに成績が上がる子は他の日にちゃんとやってるでしょうから。正直、今日休んでる子って、成績が良くないって聞く子ばっかりですからね。
今度会ったら「普段からもっと勉強しろ!」って言ってやりたいですよ。
再来週くらいになればどこの学校も期末試験が終わって結果が分かってる状態でしょうから、今日の出欠と成績の上がり具合がどう関連付けられるか、調べてみようかな。
休んだ上に成績悪かったりしたら・・・「なにやってんだ!このバカっ!」ってケツでもひっぱたいてやりますよ。
ですが、そんな事とは関係なくシニアはあります。まぁいつもの事ですが。
当然今日もあります。今日は横浜のチームとオープン戦。まーぼも当然河川敷に来ています。
今までと同じく2年生と共にベンチ入りしています。
今日のまーぼは、2試合目の最後に代走で出場。フォアボールやエラーで3塁まで進塁したけど、スクイズを外されタッチアウト。
そのまま1イニングだけキャッチャーをやりました。マウンドには1年生ピッチャー。バッテリーごと交代ってヤツです。ヒットも打たれず、パスボールも無し。これと言って評論すべきことはないんですが、とにかく少しでも経験出来て良かった。遠くまで遠征に行っても出場無しってこともありましたから、それに比べればちょっとでも経験出来ただけマシでしょう。
ところで、最初にも書きましたが明日からまーぼは期末試験です。
我が家では
『この日に試験があることは分かってたこと。その前日にシニアがあることも分かってたこと。だったらその日の分も他の日に勉強しろ』
ということになってますから、休むことはあり得ません。
前回の試験が悪かったですからね。今回悪かったらどうなるか、本人も自覚しているようで、そこそこまじめに勉強してるみたいです。
ところが見渡してみるとどうも今日は1年生の人数が少ない。ベンチ入りの1年生5人の内、今日は2人が休み。全体でも1年生はほぼ半分しか来ていない状態だった。まさかその休みが全員風邪とは思えない。おそらく試験のために休んでる子がほとんどでしょう。家庭によっては勉強を優先させるところもあるんですよね。まぁ公式戦じゃないですからね。そういう選択もあるとは思いますが。
それぞれ家庭の事情もあるんでしょうが、祝日に1日野球をやらずに勉強したって成績が上がるとは思えないんですけどねぇ。ホントに成績が上がる子は他の日にちゃんとやってるでしょうから。正直、今日休んでる子って、成績が良くないって聞く子ばっかりですからね。
今度会ったら「普段からもっと勉強しろ!」って言ってやりたいですよ。
再来週くらいになればどこの学校も期末試験が終わって結果が分かってる状態でしょうから、今日の出欠と成績の上がり具合がどう関連付けられるか、調べてみようかな。
休んだ上に成績悪かったりしたら・・・「なにやってんだ!このバカっ!」ってケツでもひっぱたいてやりますよ。
2005年11月22日
社会復帰

今日の午前中、両脇の抜糸を済ませ、いよいよ仕事に復帰となりました。
しかし、まだあと二週間くらいは飛んだり跳ねたりしちゃダメらしい。(もとより仕事でそんなことしちゃあいませんけどね)
その時期までずっと休業ってのもさすがに出来ないからね。ぼちぼちでやっていくしかないね。
2005年11月21日
サヨナラポチ〜賠償問題<<5日目〜退院>>
みなさまに痛みのおすそわけをしてしまい、不評を買ってるこのシリーズですが(笑)本日最終回でございます。ご安心下さい。
起きて早々から、ポチへの空気を抜く処置をストップさせた5日目。
前日届けられたニンテンドーDSのお陰で、ナースに起こされるまですっかり熟睡していた。
今、サラッと書いてみたんだけど、『ナースに起こされる』ってなんだか良いフレーズ(笑)
実生活ではないからね。そっちの趣味がない限り。制服自体は嫌いではありませんが、自宅でするほど愛好家じゃないから。(笑)
さて、バカな話はともかく。
起こされた直後に地震です。三陸沖で起こった地震、ウチの辺りは震度2だったかな。普通に生活していて、自宅にいた頃なら間違いなく気付かないですね。こんな時間でしかもこの震度。この程度じゃ起きないね。
揺れが治まった後にふと思った。この病院ってかなり古いんですよ。元々は戦時中の陸軍病院として作られたものが前身だっていうんですから。まさかその頃からの建物って事はないでしょうが、壁の染み、亀裂からすると結構古そうだし。隔離病棟があったとか、例のアレを見たとかってウワサも近所では流れてるし。
そんな建物ですからデカイ地震が来たら一発で倒壊しちゃうんじゃないか?って不安がよぎっちゃったよ。
しかも連鎖って言うんですかねぇ。改めてこの建物が古いことを実感しちゃったら、その夜から窓の外見るのがちょっぴり怖くなっちゃうし。めっちゃいそうですからね、アレ。
15年ほど前にも、2週間ほど入院したことがあるんだけど、その時には夜中に霊安室がある地下まで階段で向かってみたりと、チャレンジ精神があったんだけどねぇ。その時に入院してたのは今回とは違ってとてもキレイな病院だったからね。今回はさすがに無理でした。シャレにならない事態が起こりそうですからねぇ。まぁ15年前は若気の至りってヤツだったのかも。
話が思いっきりそれちゃいました。
朝からナースの指示でポチへの脱気がストップ。24時間このままの状態で問題なければ、ポチとはサヨナラすることになる。だからってじっとしててもしょうがないから、まずは自力で洗髪。つづいて1階の売店にスポーツ紙を買いに。しかも階段使って。全然くるしくならなかったですね。ホッとしました。
そんなこんなで昼。主治医がやってきました。
前日調べたCTの結果。
「肺の表面に目立ったブラ(気泡)はないようです」
ということだった。ふ〜。・・・と、いうことはすぐに再発してしまう可能性はない訳です。
気泡が出来る原因が判明していないから、今後再発の可能性がゼロではないんだけど、いますぐって事はなくなった。良かったよ〜。あの痛いのをまたすぐやるって事だけはなくなったよ。ホッ。
しかも、現在つながってるポチに関しても、このまま順調なら明日取っちゃうことが決定した。
いよいよ退院も視野に入ってきた。主治医としてはポチを取ったらあとの抜糸は外来で大丈夫だからあと2〜3日で退院ってことに。具体的な日にちはまだ決定しなかった。賠償の話もその時には出なかったし。
そしてあっという間に時間が過ぎ、翌日。入院6日目。
昼過ぎに主治医がやってきた。レントゲン結果からもう管を抜いても大丈夫。穴もふさがったということで、いよいよポチとお別れの時がやって来た。
その上で、退院はいつがいいか聞かれたんで、はっきりと言っておいた。
「私はいつでも構わない。ただ色々話さなきゃいけないこともあるでしょうから、先生の時間がある曜日が良いんじゃないでしょうか」
すると主治医は、一応抜いた後もレントゲンを撮りたいから退院は金曜にしましょう、と言ってきた。
その上で、事務局や上の方と話し合いをしてもらうことになると思う、とのことだった。
分かります?
俺この時点で、『あ、主治医は話し合いには出席しないんだな』と気付いちゃいました。
実際出席しませんでしたし。もう現場レベルじゃなくなったってことでしょうか。
今までとトーンが変わることも予想されるから、万が一を考えて仕事用のテープレコーダーを持ってこさせること決めたのはこの時だった。
そんな話から30分後。
外れました!!この6日間ずーっと寄り添ってきたポチといよいよお別れしました。
麻酔の注射の痛さなんて、このあとのフリーダムな状態を考えたらなんでもないし。
初日のときにも書きましたが、この時に抜けた管をしっかり確認しました。内径5ミリ、直径7ミリのチューブが脇から10センチ強が入っていたみたい。あまりの痛さに俺はずっと金属が入ってるんだと思ってたんですが、さすがにそれじゃあ他の臓器にキズをつけちゃいますからね。直径がそれだけある物を肋骨の隙間から突っ込むもんだから当たる訳なんですねぇ。
それでもポチのことを気遣うことなくスッと立ち上がれるってウレシイねぇ。寝返りも打てるし。うつぶせも出来るし。いや〜自由自由!!
そ〜んな自由な俺のキモチを察してるんですねぇ。看護婦さんは。まっさきに注意されました。
「自由に動ける様になったからって、病院出てセブンイレブン行ったらダメですよ」
・・・・はい。そういうことしそうに見えたんでしょうねぇ。
さてさて、いよいよあの話です。
ポチが取れた翌日、昼過ぎに婦長がやってきて、
「夕方5時に話し合いを持ちたいと思います」
と言ってきた。退院は明日だからね。今日の内に済ませておくのはこちらとしても大賛成ですからオッケーしましたよ。そして5時少し前には奥さんも病室に到着。
定刻を少し過ぎて婦長が病室に迎えに来た。
例のミスを聞かされたあのカンファレンスルームにまた通された。
入ったらまず確認。誰がいる?あ、やっぱり主治医はいないんだねぇ。
左に事務局の人、真ん中に医局長、右に婦長が席に着いた。
向かい側に俺と奥さん。
俺の手にはメモ帳とテープレコーダー。
まだスイッチは入れていない。向こうの最初のトーン次第で断った上でスイッチを入れるつもりだった。
つまり間違いをどれくらいのレベルで認めるかという1点。そのトーンが主治医の口振りよりも下回ったらすぐに入れる気だった。当然こんなものを持ってること自体が相手にとってはプレッシャーになるだろうし。
口火を切ったのは医局長だった。まっさきにミスがあったことを認めて謝罪。頭を下げてきた。
この時点で半分はテレコの出番はないかなぁって感じ始めました。
ここで話の主導権が事務局に移った。
謝罪の気持ちとして、入院中に掛かった費用を全額負担したいというと言ってきた。
その金額は10万円弱。これがすべて。
う〜ん。微妙な金額だなぁ。ってのが正直な感想でした。
俺自身は入院費は全額自分で負担した上で、二桁万円の慰謝料をもらうっていうのを筋書きとして考えていたからね。それに関しては奥さんも似た様な感想だったみたい。
ただ、最初にも書いた通りごねるためにこの話し合いを始めた訳じゃなかったからね。
そして決定的だったのは入院中ののんびり生活だね。

↑こんな景色を毎日見てたからね。戦闘意欲が薄れちゃったんだよね。
結論的には病院側の申し出を受けることにしました。
入院費全額病院負担。ホントは慰謝料でパワーブック買えるか〜とか期待してたんだけどね。(笑)
やはり大学病院じゃないからですかねぇ。一種の公立病院ですから、その辺はシビアなのかも。
ちなみに俺がこの入院で使ったのは、
テレビカード2枚分 2000円
雑誌&コンビーフ&新聞代 1000円 以上。
人から見てどうなのか。微妙でしょうね。なんでもっとふんだくらないの?って人もいるでしょう。
奥さんも一晩寝て、もっとあれもこれも言ってやれば良かったって悔やんでたみたい。
でも俺はあんまりなかったんだよねぇ。妙にすっきり。結論出て良かったなぁってくらい。
きっと主治医の先生が人間的に嫌いになれなかったからだろうね。これが序盤にカチンと来ることがあったら間違いなくごねまくって入院費全額病院負担の上に慰謝料もふんだくってたかも。(笑)
ただ、一点。病院側に強く要望したのは、金銭的には受け入れるから、原因究明、病院内での当日から現在までの対策、上部機関への通報の具体的な話といったことをすべて書面で出してくれと伝えました。
今回このようなことがあったということを文書の形で残したかったというのが私の中にあったんです。
あっさり金銭で納得しちゃうより大きいなぁって考えたんですが、甘いですかねぇ。
その文書がいつ来るかはわかりませんが、それが納得出来るものだったら今回の件は終了になります。
もし、納得出来ないことがあれば、いつでも話をしに行く用意はあります。
地元の病院ですからねぇ。これからも安心して掛かるためにはしっかりとした善後策を立てられるところじゃないとね。
なんだか、長々と書きつづってしまいした。
ここまで読んでいただいた方、納得していただける結果だったかはわかりませんが、これが私の判断でした。
こんなに時間掛けて読んだのにすっきりしない、って思ってしまった方、ゴメンなさい。
また別の機会にすっきりしてもらえる様な事を書きますから、それで勘弁してください。
それでは。ありがとうございました。
起きて早々から、ポチへの空気を抜く処置をストップさせた5日目。
前日届けられたニンテンドーDSのお陰で、ナースに起こされるまですっかり熟睡していた。
今、サラッと書いてみたんだけど、『ナースに起こされる』ってなんだか良いフレーズ(笑)
実生活ではないからね。そっちの趣味がない限り。制服自体は嫌いではありませんが、自宅でするほど愛好家じゃないから。(笑)
さて、バカな話はともかく。
起こされた直後に地震です。三陸沖で起こった地震、ウチの辺りは震度2だったかな。普通に生活していて、自宅にいた頃なら間違いなく気付かないですね。こんな時間でしかもこの震度。この程度じゃ起きないね。
揺れが治まった後にふと思った。この病院ってかなり古いんですよ。元々は戦時中の陸軍病院として作られたものが前身だっていうんですから。まさかその頃からの建物って事はないでしょうが、壁の染み、亀裂からすると結構古そうだし。隔離病棟があったとか、例のアレを見たとかってウワサも近所では流れてるし。
そんな建物ですからデカイ地震が来たら一発で倒壊しちゃうんじゃないか?って不安がよぎっちゃったよ。
しかも連鎖って言うんですかねぇ。改めてこの建物が古いことを実感しちゃったら、その夜から窓の外見るのがちょっぴり怖くなっちゃうし。めっちゃいそうですからね、アレ。
15年ほど前にも、2週間ほど入院したことがあるんだけど、その時には夜中に霊安室がある地下まで階段で向かってみたりと、チャレンジ精神があったんだけどねぇ。その時に入院してたのは今回とは違ってとてもキレイな病院だったからね。今回はさすがに無理でした。シャレにならない事態が起こりそうですからねぇ。まぁ15年前は若気の至りってヤツだったのかも。
話が思いっきりそれちゃいました。
朝からナースの指示でポチへの脱気がストップ。24時間このままの状態で問題なければ、ポチとはサヨナラすることになる。だからってじっとしててもしょうがないから、まずは自力で洗髪。つづいて1階の売店にスポーツ紙を買いに。しかも階段使って。全然くるしくならなかったですね。ホッとしました。
そんなこんなで昼。主治医がやってきました。
前日調べたCTの結果。
「肺の表面に目立ったブラ(気泡)はないようです」
ということだった。ふ〜。・・・と、いうことはすぐに再発してしまう可能性はない訳です。
気泡が出来る原因が判明していないから、今後再発の可能性がゼロではないんだけど、いますぐって事はなくなった。良かったよ〜。あの痛いのをまたすぐやるって事だけはなくなったよ。ホッ。
しかも、現在つながってるポチに関しても、このまま順調なら明日取っちゃうことが決定した。
いよいよ退院も視野に入ってきた。主治医としてはポチを取ったらあとの抜糸は外来で大丈夫だからあと2〜3日で退院ってことに。具体的な日にちはまだ決定しなかった。賠償の話もその時には出なかったし。
そしてあっという間に時間が過ぎ、翌日。入院6日目。
昼過ぎに主治医がやってきた。レントゲン結果からもう管を抜いても大丈夫。穴もふさがったということで、いよいよポチとお別れの時がやって来た。
その上で、退院はいつがいいか聞かれたんで、はっきりと言っておいた。
「私はいつでも構わない。ただ色々話さなきゃいけないこともあるでしょうから、先生の時間がある曜日が良いんじゃないでしょうか」
すると主治医は、一応抜いた後もレントゲンを撮りたいから退院は金曜にしましょう、と言ってきた。
その上で、事務局や上の方と話し合いをしてもらうことになると思う、とのことだった。
分かります?
俺この時点で、『あ、主治医は話し合いには出席しないんだな』と気付いちゃいました。
実際出席しませんでしたし。もう現場レベルじゃなくなったってことでしょうか。
今までとトーンが変わることも予想されるから、万が一を考えて仕事用のテープレコーダーを持ってこさせること決めたのはこの時だった。
そんな話から30分後。
外れました!!この6日間ずーっと寄り添ってきたポチといよいよお別れしました。
麻酔の注射の痛さなんて、このあとのフリーダムな状態を考えたらなんでもないし。
初日のときにも書きましたが、この時に抜けた管をしっかり確認しました。内径5ミリ、直径7ミリのチューブが脇から10センチ強が入っていたみたい。あまりの痛さに俺はずっと金属が入ってるんだと思ってたんですが、さすがにそれじゃあ他の臓器にキズをつけちゃいますからね。直径がそれだけある物を肋骨の隙間から突っ込むもんだから当たる訳なんですねぇ。
それでもポチのことを気遣うことなくスッと立ち上がれるってウレシイねぇ。寝返りも打てるし。うつぶせも出来るし。いや〜自由自由!!
そ〜んな自由な俺のキモチを察してるんですねぇ。看護婦さんは。まっさきに注意されました。
「自由に動ける様になったからって、病院出てセブンイレブン行ったらダメですよ」
・・・・はい。そういうことしそうに見えたんでしょうねぇ。
さてさて、いよいよあの話です。
ポチが取れた翌日、昼過ぎに婦長がやってきて、
「夕方5時に話し合いを持ちたいと思います」
と言ってきた。退院は明日だからね。今日の内に済ませておくのはこちらとしても大賛成ですからオッケーしましたよ。そして5時少し前には奥さんも病室に到着。
定刻を少し過ぎて婦長が病室に迎えに来た。
例のミスを聞かされたあのカンファレンスルームにまた通された。
入ったらまず確認。誰がいる?あ、やっぱり主治医はいないんだねぇ。
左に事務局の人、真ん中に医局長、右に婦長が席に着いた。
向かい側に俺と奥さん。
俺の手にはメモ帳とテープレコーダー。
まだスイッチは入れていない。向こうの最初のトーン次第で断った上でスイッチを入れるつもりだった。
つまり間違いをどれくらいのレベルで認めるかという1点。そのトーンが主治医の口振りよりも下回ったらすぐに入れる気だった。当然こんなものを持ってること自体が相手にとってはプレッシャーになるだろうし。
口火を切ったのは医局長だった。まっさきにミスがあったことを認めて謝罪。頭を下げてきた。
この時点で半分はテレコの出番はないかなぁって感じ始めました。
ここで話の主導権が事務局に移った。
謝罪の気持ちとして、入院中に掛かった費用を全額負担したいというと言ってきた。
その金額は10万円弱。これがすべて。
う〜ん。微妙な金額だなぁ。ってのが正直な感想でした。
俺自身は入院費は全額自分で負担した上で、二桁万円の慰謝料をもらうっていうのを筋書きとして考えていたからね。それに関しては奥さんも似た様な感想だったみたい。
ただ、最初にも書いた通りごねるためにこの話し合いを始めた訳じゃなかったからね。
そして決定的だったのは入院中ののんびり生活だね。

↑こんな景色を毎日見てたからね。戦闘意欲が薄れちゃったんだよね。
結論的には病院側の申し出を受けることにしました。
入院費全額病院負担。ホントは慰謝料でパワーブック買えるか〜とか期待してたんだけどね。(笑)
やはり大学病院じゃないからですかねぇ。一種の公立病院ですから、その辺はシビアなのかも。
ちなみに俺がこの入院で使ったのは、
テレビカード2枚分 2000円
雑誌&コンビーフ&新聞代 1000円 以上。
人から見てどうなのか。微妙でしょうね。なんでもっとふんだくらないの?って人もいるでしょう。
奥さんも一晩寝て、もっとあれもこれも言ってやれば良かったって悔やんでたみたい。
でも俺はあんまりなかったんだよねぇ。妙にすっきり。結論出て良かったなぁってくらい。
きっと主治医の先生が人間的に嫌いになれなかったからだろうね。これが序盤にカチンと来ることがあったら間違いなくごねまくって入院費全額病院負担の上に慰謝料もふんだくってたかも。(笑)
ただ、一点。病院側に強く要望したのは、金銭的には受け入れるから、原因究明、病院内での当日から現在までの対策、上部機関への通報の具体的な話といったことをすべて書面で出してくれと伝えました。
今回このようなことがあったということを文書の形で残したかったというのが私の中にあったんです。
あっさり金銭で納得しちゃうより大きいなぁって考えたんですが、甘いですかねぇ。
その文書がいつ来るかはわかりませんが、それが納得出来るものだったら今回の件は終了になります。
もし、納得出来ないことがあれば、いつでも話をしに行く用意はあります。
地元の病院ですからねぇ。これからも安心して掛かるためにはしっかりとした善後策を立てられるところじゃないとね。
なんだか、長々と書きつづってしまいした。
ここまで読んでいただいた方、納得していただける結果だったかはわかりませんが、これが私の判断でした。
こんなに時間掛けて読んだのにすっきりしない、って思ってしまった方、ゴメンなさい。
また別の機会にすっきりしてもらえる様な事を書きますから、それで勘弁してください。
それでは。ありがとうございました。
やっぱりキャッチャーって経験なんですよねぇ
朝、エントリした通り、2日連続で河川敷に行って参りました。
昨日はウチのシニア主催の少年野球大会。息子の後輩達が出場してますからその応援&お手伝い。色々な事情で欠場の選手が多い中、なんとか勝利しました。
そして今日は河川敷の美化活動&オープン戦でした。
まーぼは1、3試合目に行われた2年生試合はベンチウォーマー。2試合目に行われた1年生試合にキャッチャーでフル出場しました。
結果は3打数1安打。3打席目、4点を追う最終回に2アウト満塁で打席が回りました。高めのストレートを右中間にはじき返して2点タイムリー。この試合チーム内唯一の強い当たりでしたからバッティングの方はまぁまぁ及第点でしょう。
帰宅後に聞いた本人談によると、朝練でKコーチが投げてくれるトスの高さとちょうど同じで、それをかぶせる様に叩く練習をさんざんしていたから打てたということらしい。成果が出てるから嬉しそうでしたね。
ところが、守備の方はというと・・・・。これは赤点かな。
相変わらずキャッチングがへたくそ。変化球でミットを出すのが遅れたのか、内股の同じ様なところに4〜5回ボールをぶち当てちゃったみたい。そのせいか足が痛くて、カバーに動かなかったりと緩慢プレーが目に付いた。ヤツにはまだ『痛かろうがやらなきゃいけないプレー』ってのを理解出来てないんだろうな。
これに関しては今日ではなく、日を改めて注意しようと思ってますが。
その日の内に言ってしまうと、オレも興奮してキツイ言葉になってしまう予感がしましたから。なんにしてもまだ見て覚えるということが大して出来てない。先輩のプレイのどこをみてるんだろうって改めて思ったりしちゃいます。前途多難って感じですわ。
なんでしょかねぇ、経験すればなんとかなるもんですかね。周りを見る余裕がないんですよ。リードとキャッチングで精一杯。向いてないとは考えたくないんですが、なかなか進歩が見えない難しいポジションですねぇ。ちょっとだけジレンマに陥ってしまいましたよ。
昨日はウチのシニア主催の少年野球大会。息子の後輩達が出場してますからその応援&お手伝い。色々な事情で欠場の選手が多い中、なんとか勝利しました。
そして今日は河川敷の美化活動&オープン戦でした。
まーぼは1、3試合目に行われた2年生試合はベンチウォーマー。2試合目に行われた1年生試合にキャッチャーでフル出場しました。
結果は3打数1安打。3打席目、4点を追う最終回に2アウト満塁で打席が回りました。高めのストレートを右中間にはじき返して2点タイムリー。この試合チーム内唯一の強い当たりでしたからバッティングの方はまぁまぁ及第点でしょう。
帰宅後に聞いた本人談によると、朝練でKコーチが投げてくれるトスの高さとちょうど同じで、それをかぶせる様に叩く練習をさんざんしていたから打てたということらしい。成果が出てるから嬉しそうでしたね。
ところが、守備の方はというと・・・・。これは赤点かな。
相変わらずキャッチングがへたくそ。変化球でミットを出すのが遅れたのか、内股の同じ様なところに4〜5回ボールをぶち当てちゃったみたい。そのせいか足が痛くて、カバーに動かなかったりと緩慢プレーが目に付いた。ヤツにはまだ『痛かろうがやらなきゃいけないプレー』ってのを理解出来てないんだろうな。
これに関しては今日ではなく、日を改めて注意しようと思ってますが。
その日の内に言ってしまうと、オレも興奮してキツイ言葉になってしまう予感がしましたから。なんにしてもまだ見て覚えるということが大して出来てない。先輩のプレイのどこをみてるんだろうって改めて思ったりしちゃいます。前途多難って感じですわ。
なんでしょかねぇ、経験すればなんとかなるもんですかね。周りを見る余裕がないんですよ。リードとキャッチングで精一杯。向いてないとは考えたくないんですが、なかなか進歩が見えない難しいポジションですねぇ。ちょっとだけジレンマに陥ってしまいましたよ。
一夜が明けて〜中だるみ期間<<2日目〜4日目>>
さてさて、驚きの処置ミスを体験してしまった入院初日。
その後何があったのか。ゆっくりと話を進めていきましょうか。
両方の肺に管が刺さり、その先にはダブルで『物言わぬポチ』。患部には継続的に痛みが走っている。
こんな状態だから、「もしかしたら痛みで目が覚めてしまうかも」と危惧していたのだが、人間というのは良く出来ているもので、その晩は驚くほど爆睡してしまった。一度も目を覚ますことなく、入院2日目を迎えた。
すぐに昨晩ほど痛みを感じないことに気付いた。これが人間の自然治癒能力ってヤツなんですかねぇ。
朝食後、またうたた寝をしたんだけど、そのあと目が覚めた時にはさらに痛みが引いている。
昼前にはレントゲンを撮りに一人で歩いて行けるまで回復していた。
そしてそのレントゲンを見た主治医が病室でウトウトしているところにやってきた。
右の肺はまったく問題ないから管を抜く、という話だった。
当たり前だっての。そもそも苦しくなかったんだから。
本当ならすぐ抜いたって平気なくらいだったんだけど、仮にも体に穴を開けて管を入れているのだから慌てて抜くのは良くないから、という説明を前日の夕食前くらいに説明を受けた、気がする。
というのもとにかく何だか眠かった。両親、妹夫婦が面会に来てたんだけど帰った直後からウトウトしてて、主治医と医局長って人が来た時には半分くらい意識が落ちてる所だった。
だから、説明もおぼろげにしか覚えてないし、それに対してオレも「あぁ、そうですか」ぐらいしか話せなかった気がする。
ともあれ、レントゲン結果から右の肺に入る管を抜く処置をすることになった。
管を入れたのと同じ処置室に入り、わずか10分。いつ管抜いたの?って感じ。一応縫う作業があるから麻酔は掛けてたけど、それにしてもあっさりだった。でも確実に右肺、右肋骨近辺の違和感が無くなってる。
それだけでかなり体が軽くなった気がするんだから現金なもんだ。
しかしそうなると余裕も出来て、ちょっと先のことまで考えられる様になった。
まず真っ先に思ったのが、「昨日と同じペースで寝てたら夜寝られなくなっちゃうかも」ってこと(笑)
いまでこそ笑えることだけど、その時は真剣に思ってたんですよ。
なにせ病室は4人部屋。消灯は9時。寝れなかったら何にも出来ないですからね。テレビだっていつまでも付けてる訳にはいかないし。とにかく夜は寝ちゃうのが一番ですから。
そう思って、病院内を散歩したり(ポチと一緒にね)読書したり、テレビ見たりと頑張って起き続けてみた。
これだけ起きてれば暗くなったら眠くなるだろってすっかり思ってました。
ところがところが、なんの罰なんでしょ。ちっとも眠くないんですよ。前日はあんなに寝ても寝ても眠かったのに。おまけに隣のベッドの患者さんに先に寝付かれてしまい、イビキ&寝言で戦意喪失。もう頑張ることを放棄しちゃいました。結局寝付いたのは多分2時近く・・・だった・・・かな。
この経験でその後は早く寝るための努力は止めましたね。無駄でした。眠い時には寝る。その場その場でやりたいことをやる。
こうして翌3日目から、本格的に『食っちゃ寝』生活が始まった訳です。
しかもこの生活はすごい反動が来るんですよ。生活のほとんどの時間を一人で過ごすから、誰かと会話し始めると止まらない止まらない。いや、たしかに元々おしゃべりではありますけどね。
だからでしょうねぇ。見舞いに来てくれる人から、
「思ったより元気だ」とか「心配して損した」
って思いっきり言われちゃうんですよねぇ。
『肺に穴が開いて24時間、体に管が刺さってる』って聞くとすごく重症だと思っちゃうんでしょうね。
悪かったね、こんな元気で。
実際この頃はもう半ば治った気でいましたからね。
この頃の一番の心配事と言えば現在進行形の病状ではなく、今後の再発の可能性の問題だった。
そもそも、自然気胸というのは何故起こるのかというと、まず肺に気泡があって、それが何かの拍子にパチンと弾けてその時に肺に穴が開いちゃうみたいなんです。
要するにその気泡が問題な訳です。これが肺にまだあったら再発、つまりまたパチンといってしまう可能性がある訳ですよ。
そうなると、またあの悶絶するほど痛い“管を刺す”処置をしなきゃいけなくなる。
それだけは・・・それだけは避けたい。
で、その可能性があるかどうかを確認するために入院4日目にCTを撮った。
月曜というのは病院はとにかく忙しい様で、ずーっとほったらかしにされたあげく、CTを撮ったのが夕方4時近く。まぁ、ダラダラ、ぐだぐだしながら待ってましたよ。暇つぶしの王様“クロスワードパズル”の本を買っちゃったりして。
結果を伝えに主治医が病室にやってきたのは5時過ぎ。そんな時間になってしまったから、CTの結果に関しては翌日におあずけ。同時に撮っていたレントゲンによる今後の処置についてだけの説明となった。
翌5日目の朝から、管にはさみとペンチの子供みたいな機具を使って、空気を抜く処置を止めるらしい。要するにポチに繋がる管をふさいでしまうということです。
ちょっと事態が動き始めました。だらだらと過ごしていた期間が過ぎ、退院、そして懸案の処置ミスの話し合いが近づいてきた訳です。
しかし、それはまた後日。すいませんねぇ、引っ張っちゃって(笑)
2005年11月20日
リハビリ、リハビリ

昨日、今日と河川敷に来てます。
事情を知る方からは
「帰っておとなしくしてろ」 と言われてしまいますが。
家でじっとしててもストレスが溜まるだけなんですもん。
2005年11月19日
苦しい目覚め〜大事件発生 <<入院初日>>
退院から一晩が過ぎました。
昨晩は病院では決して食べられないもの、奥さんにリクエストしていた「辛いカレーライス」をしこたま食べて、気持ちよく1週間ぶりのベットに眠りました。
そしてこの1週間で染みついてしまった習性でしょうね、朝日がまぶしい時間帯に目覚めてしまいました。
図らずも早起きしてしまったんで、この1週間、私に起こったことを書き起こしてみようと思いました。長文になりますし、記録的な要素もあるんで時間のある方だけで結構です。あんまり楽しいものでもないですし。
しかもすでに『漂流楼閣』で経過をご存じの方にとっては重複する内容になると思います。
しかし、当事者にしか分からない痛みや苦しさもちょろっと織り交ぜつつ、『漂流楼閣』では奥さんが自重して書かなかったことについても書いていきたいと思ってます。
あれは先週金曜、朝のことでした。
その日は三井住友太平洋マスターズで予選落ちの可能性があったジャンボ尾崎を追うために御殿場に行くことになってました。
8時に目覚ましをセットしていたんですが、その少し前に目が覚めました。覚めた途端に胸と背中に痛みが走り、息苦しいことに気付きました。
起きあがろうとしたら激痛が。どうも背筋を伸ばすと痛みが強まります。猫背になると多少は痛みが引くものの苦しさはどう体勢を変えても逃れられない。
元々私は喘息持ちですんで、息苦しいことには免疫があります。しかしこの日の苦しさは気管の収縮程度じゃない、経験から直感的に思いました。
これは御殿場までは無理だな。即座に判断して仕事のキャンセルしました。
思えばこの時にすでに入院も覚悟していたのかもしれません。奥さんに付き添う様に頼みました。
普通の病気なら一人で行きますよ。大人ですからね。しかしこの日は付いていってもらった方がいいと思ったんですよね。それほど苦しかったってのもありますが。
最初は町医者に行きました。今年のGWに人間ドックを受けた病院です。ここなら健康状態の肺のレントゲンがあると分かっていたからです。何かがあったらそういうのがある方がいいのかとも考えたんです。
苦しみながら自分で車を運転し、助手席に奥さんを乗せて病院へ。奥さん、ペーパードライバーなんですよ。困りモンですね。練習させておけば良かったとこの時痛感しましたよ。
そんなこんなでレントゲンを受け診察になりました。
医者はそれを見た瞬間に
「自然気胸ですねぇ。ほら左肺が2/3くらいになっちゃってるでしょ。」
「これは肺に穴が開いて空気が漏れちゃってるから、その空気を抜かないとダメだね。」
「ウチではダメだから他の病院に入院して処置してもらわないとね。5日から1週間の入院になるかな。」
ってことで今回入院した病院を紹介され、また苦しみながら車を転がしそちらに向かいました。
入院設備のあるその病院。自宅からも近いし、奥さんの職場からも近い。環境としてはばっちりだ。ただ古めかしいということを除いたら。
まぁそれでもともかくこちらでも医者に診断してもらったところ、やっぱり変わらず自然気胸ってことで入院手続き。あれよあれよという間に入院患者になって病棟のベットに腰掛けてました。
ここで奥さんは着替えやら歯ブラシといった必要になりそうなものを取りに自宅に戻る。
その間に処置室に呼ばれ、漏れてしまった空気を抜く処置が施されることになった。
これは退院直前の抜く時に確認したんだけど、その抜くための管、直径7〜8ミリはありましたね。
それを脇から刺すことになるんだけど、オレは処置室の窓に頭を向けるようにして寝かされた。
医者、看護士は右側、左には壁がある。ちなみにオレの肺に穴が開いたのは左肺。この時点で「?」と思うところはあったんだよね。
「右から刺すんですか?」
「そうですよ」
こんな簡単な会話があった後、処置は始まった。医師は研修医に質問したり指示したりしながら淡々と作業を進めていく。局部麻酔を打って、管を入れるために切って、そこから肋骨をよけながら管を肺の膜の中に刺していく。と簡単に書いてますが、麻酔は痛いし、管をググって差し込んだ時の痛さったらもう!!えんぴつ差し込まれてグリグリやられてるみたいな感じですから。悶絶ってもんですよ。
で、その処置が終わり、すぐにまたレントゲンを撮りに行く。でも苦しいのはまだ収まらないから車いすに乗せてもらうことに。それも終わり病室に戻ってしばらくしたら、医師がやってきた。
「レントゲンの結果が来ました。ちょっとこちらにお願いします。」
4人部屋の病室からカンファレンスルームに呼び出された。
勘の良い方ならなんとなくわかるでしょう?オレもこの時点でピーンと来ましたよ。
「正直に申し上げますと、単純なミスでレントゲンの表と裏を見誤ってしまいました。」
「本来左肺にすべき処置を、右肺にしてしまいました。本当に申し訳ない」
「したがって本来すべきであった左肺への処置をこれから行わせてください」
やっぱりでした。どういう理由かはともかく、やはり先ほどの処置は右へのものだったんです。
「ということは、またあの痛いヤツをやらねければいけないってことですか?」
「申し訳ありません」当然医師は平謝りです。
でも、その時はとにかく痛みと苦しさの絶頂でしたから、
「とにかく今はこの苦しいの無くして欲しいんでお願いします。」
こうしてすぐに左への処置が行われました。
やってみると明らかに右の時とは違いましたね。管がしっかり刺さった瞬間、つまりあの悶絶する痛みの直後、水タンク(のちにポチと呼ばれるあれです)に空気が次々に送り込まれ、ボコボコと音を立ててましたから。まさに空気を抜く作業って音でしたね。そしたらすぐにすーっと苦しさも弱まってきました。
苦しさは弱まったけど、両方の肺に管が刺さってるという事実は変えられない。
異物感とじわじわ来る痛みに打ちひしがれてる時に、奥さんが着替えを持ってやって来た。
すぐにかいつまんで事情を話した。「訴える?」とか奥さんが冗談っぽく話しているところに医師がやってきた。
「今回のことは病院の上の方とも話をして、何らかの賠償も考えさせていただきます」
そんなようなことを話して病室を後にしていった。
まぁ、手ぶらで退院する気はありませんでしたよ。当然ね。
ただ、めんどくさいことは嫌なんです。きちんと病院側が対応してくれればそんなにごねるつもりもないし。事を荒立てるのは好きじゃないし体力のいることだからね。すんなりと終わらせたいなってのが一番の希望でした。
と、まあ、これが入院初日に起こった大事件の顛末です。
あるんですよねぇ、こんなことが。当人のオレだってビックリでしたから。
結論は退院前日に出るんですが、それはまた後日。
昨晩は病院では決して食べられないもの、奥さんにリクエストしていた「辛いカレーライス」をしこたま食べて、気持ちよく1週間ぶりのベットに眠りました。
そしてこの1週間で染みついてしまった習性でしょうね、朝日がまぶしい時間帯に目覚めてしまいました。
図らずも早起きしてしまったんで、この1週間、私に起こったことを書き起こしてみようと思いました。長文になりますし、記録的な要素もあるんで時間のある方だけで結構です。あんまり楽しいものでもないですし。
しかもすでに『漂流楼閣』で経過をご存じの方にとっては重複する内容になると思います。
しかし、当事者にしか分からない痛みや苦しさもちょろっと織り交ぜつつ、『漂流楼閣』では奥さんが自重して書かなかったことについても書いていきたいと思ってます。
あれは先週金曜、朝のことでした。
その日は三井住友太平洋マスターズで予選落ちの可能性があったジャンボ尾崎を追うために御殿場に行くことになってました。
8時に目覚ましをセットしていたんですが、その少し前に目が覚めました。覚めた途端に胸と背中に痛みが走り、息苦しいことに気付きました。
起きあがろうとしたら激痛が。どうも背筋を伸ばすと痛みが強まります。猫背になると多少は痛みが引くものの苦しさはどう体勢を変えても逃れられない。
元々私は喘息持ちですんで、息苦しいことには免疫があります。しかしこの日の苦しさは気管の収縮程度じゃない、経験から直感的に思いました。
これは御殿場までは無理だな。即座に判断して仕事のキャンセルしました。
思えばこの時にすでに入院も覚悟していたのかもしれません。奥さんに付き添う様に頼みました。
普通の病気なら一人で行きますよ。大人ですからね。しかしこの日は付いていってもらった方がいいと思ったんですよね。それほど苦しかったってのもありますが。
最初は町医者に行きました。今年のGWに人間ドックを受けた病院です。ここなら健康状態の肺のレントゲンがあると分かっていたからです。何かがあったらそういうのがある方がいいのかとも考えたんです。
苦しみながら自分で車を運転し、助手席に奥さんを乗せて病院へ。奥さん、ペーパードライバーなんですよ。困りモンですね。練習させておけば良かったとこの時痛感しましたよ。
そんなこんなでレントゲンを受け診察になりました。
医者はそれを見た瞬間に
「自然気胸ですねぇ。ほら左肺が2/3くらいになっちゃってるでしょ。」
「これは肺に穴が開いて空気が漏れちゃってるから、その空気を抜かないとダメだね。」
「ウチではダメだから他の病院に入院して処置してもらわないとね。5日から1週間の入院になるかな。」
ってことで今回入院した病院を紹介され、また苦しみながら車を転がしそちらに向かいました。
入院設備のあるその病院。自宅からも近いし、奥さんの職場からも近い。環境としてはばっちりだ。ただ古めかしいということを除いたら。
まぁそれでもともかくこちらでも医者に診断してもらったところ、やっぱり変わらず自然気胸ってことで入院手続き。あれよあれよという間に入院患者になって病棟のベットに腰掛けてました。
ここで奥さんは着替えやら歯ブラシといった必要になりそうなものを取りに自宅に戻る。
その間に処置室に呼ばれ、漏れてしまった空気を抜く処置が施されることになった。
これは退院直前の抜く時に確認したんだけど、その抜くための管、直径7〜8ミリはありましたね。
それを脇から刺すことになるんだけど、オレは処置室の窓に頭を向けるようにして寝かされた。
医者、看護士は右側、左には壁がある。ちなみにオレの肺に穴が開いたのは左肺。この時点で「?」と思うところはあったんだよね。
「右から刺すんですか?」
「そうですよ」
こんな簡単な会話があった後、処置は始まった。医師は研修医に質問したり指示したりしながら淡々と作業を進めていく。局部麻酔を打って、管を入れるために切って、そこから肋骨をよけながら管を肺の膜の中に刺していく。と簡単に書いてますが、麻酔は痛いし、管をググって差し込んだ時の痛さったらもう!!えんぴつ差し込まれてグリグリやられてるみたいな感じですから。悶絶ってもんですよ。
で、その処置が終わり、すぐにまたレントゲンを撮りに行く。でも苦しいのはまだ収まらないから車いすに乗せてもらうことに。それも終わり病室に戻ってしばらくしたら、医師がやってきた。
「レントゲンの結果が来ました。ちょっとこちらにお願いします。」
4人部屋の病室からカンファレンスルームに呼び出された。
勘の良い方ならなんとなくわかるでしょう?オレもこの時点でピーンと来ましたよ。
「正直に申し上げますと、単純なミスでレントゲンの表と裏を見誤ってしまいました。」
「本来左肺にすべき処置を、右肺にしてしまいました。本当に申し訳ない」
「したがって本来すべきであった左肺への処置をこれから行わせてください」
やっぱりでした。どういう理由かはともかく、やはり先ほどの処置は右へのものだったんです。
「ということは、またあの痛いヤツをやらねければいけないってことですか?」
「申し訳ありません」当然医師は平謝りです。
でも、その時はとにかく痛みと苦しさの絶頂でしたから、
「とにかく今はこの苦しいの無くして欲しいんでお願いします。」
こうしてすぐに左への処置が行われました。
やってみると明らかに右の時とは違いましたね。管がしっかり刺さった瞬間、つまりあの悶絶する痛みの直後、水タンク(のちにポチと呼ばれるあれです)に空気が次々に送り込まれ、ボコボコと音を立ててましたから。まさに空気を抜く作業って音でしたね。そしたらすぐにすーっと苦しさも弱まってきました。
苦しさは弱まったけど、両方の肺に管が刺さってるという事実は変えられない。
異物感とじわじわ来る痛みに打ちひしがれてる時に、奥さんが着替えを持ってやって来た。
すぐにかいつまんで事情を話した。「訴える?」とか奥さんが冗談っぽく話しているところに医師がやってきた。
「今回のことは病院の上の方とも話をして、何らかの賠償も考えさせていただきます」
そんなようなことを話して病室を後にしていった。
まぁ、手ぶらで退院する気はありませんでしたよ。当然ね。
ただ、めんどくさいことは嫌なんです。きちんと病院側が対応してくれればそんなにごねるつもりもないし。事を荒立てるのは好きじゃないし体力のいることだからね。すんなりと終わらせたいなってのが一番の希望でした。
と、まあ、これが入院初日に起こった大事件の顛末です。
あるんですよねぇ、こんなことが。当人のオレだってビックリでしたから。
結論は退院前日に出るんですが、それはまた後日。
2005年11月18日
本日、無事退院しました
みなさま、大変お騒がせ致しました。本日、無事退院しました。
さとるさん、フルコーチさん、Ayigusさん、ドラ夫さん、baseball-oyajiさん、星さん、つよしさん、新米C監督さん、metooさん
お見舞いのコメントありがとうございました。m(_ _)m
その他にも心配して駆けつけてくれた少年野球関係の皆さん、本当にありがとうございました。
ブログのコメントは、奥さんがプリントアウトして病院に届けてくれていたので、毎日うれしく読ませていただきました。本当にうれしくて、心の支えになりました。
ブログをやっていて本当に良かったと心底思いました。本当なら一人一人に握手して回りたいくらいですが、それも難しいことですから、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
おかげさまですっかり元気になりました。
経過の方は、奥さんのブログ『漂流楼閣』を読んでご存じの方もいるかもしれません。
初日こそ、こっそりエントリ出来ましたが、入院してしまってからはなかなか難しいですから、奥さんが経過を報告してくれるのはありがたく思っていました。これも夫婦で別々にブログを持っていればこその芸当だなと思いました。
にしてもあまりにもオレがのほほんと入院してるように書きすぎですよねぇ。(笑)
あれじゃあ、みんな心配してくれなくなっちゃうんじゃないか、少しは患者らしくしろってコメントが入るんじゃないか、とドキドキしてましたよ。
入院当初は、脇から直径8ミリくらいの管が刺さっている痛みと異物感、若干残る苦しさとで、しゃべるのすらツライ状況でした。痛み止めの座薬も使いましたが効き目があるんだか、ないんだかって感じでした。
それも翌日の昼にはだいぶ収まり、3日目には異物感が少し残るだけになっていました。
この時点で入院患者としてはかなり元気だなとは自分でも思いましたよ。オレの入院してる病棟は同年代の患者がほとんどいない。老人向け?と聞きたくなるほどの光景でした。
周りを見回して、医者、看護士の次に元気なのはオレかも知れないと思うことも確かにありました。
とは言え、一昨日まで『物言わぬポチ』(命名:つよしさん)が付いて回ってたから、動きづらさはありましたけどね。

↑これがウワサの『ポチ』です。脇から管が出て、その先にご覧のように水タンクがある訳です。
プラスチックのS字フックから先だけでも移動は出来ますが、さすがにこれ持ってセブンイレブンに行く勇気はありませんでした。
色々書きたいことはありますが、それはまた明日以降にしようと思います。
みなさまへのお礼も兼ねてバシバシ書いていきますから、ヨロシクお願いします。
さとるさん、フルコーチさん、Ayigusさん、ドラ夫さん、baseball-oyajiさん、星さん、つよしさん、新米C監督さん、metooさん
お見舞いのコメントありがとうございました。m(_ _)m
その他にも心配して駆けつけてくれた少年野球関係の皆さん、本当にありがとうございました。
ブログのコメントは、奥さんがプリントアウトして病院に届けてくれていたので、毎日うれしく読ませていただきました。本当にうれしくて、心の支えになりました。
ブログをやっていて本当に良かったと心底思いました。本当なら一人一人に握手して回りたいくらいですが、それも難しいことですから、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
おかげさまですっかり元気になりました。
経過の方は、奥さんのブログ『漂流楼閣』を読んでご存じの方もいるかもしれません。
初日こそ、こっそりエントリ出来ましたが、入院してしまってからはなかなか難しいですから、奥さんが経過を報告してくれるのはありがたく思っていました。これも夫婦で別々にブログを持っていればこその芸当だなと思いました。
にしてもあまりにもオレがのほほんと入院してるように書きすぎですよねぇ。(笑)
あれじゃあ、みんな心配してくれなくなっちゃうんじゃないか、少しは患者らしくしろってコメントが入るんじゃないか、とドキドキしてましたよ。
入院当初は、脇から直径8ミリくらいの管が刺さっている痛みと異物感、若干残る苦しさとで、しゃべるのすらツライ状況でした。痛み止めの座薬も使いましたが効き目があるんだか、ないんだかって感じでした。
それも翌日の昼にはだいぶ収まり、3日目には異物感が少し残るだけになっていました。
この時点で入院患者としてはかなり元気だなとは自分でも思いましたよ。オレの入院してる病棟は同年代の患者がほとんどいない。老人向け?と聞きたくなるほどの光景でした。
周りを見回して、医者、看護士の次に元気なのはオレかも知れないと思うことも確かにありました。
とは言え、一昨日まで『物言わぬポチ』(命名:つよしさん)が付いて回ってたから、動きづらさはありましたけどね。

↑これがウワサの『ポチ』です。脇から管が出て、その先にご覧のように水タンクがある訳です。
プラスチックのS字フックから先だけでも移動は出来ますが、さすがにこれ持ってセブンイレブンに行く勇気はありませんでした。
色々書きたいことはありますが、それはまた明日以降にしようと思います。
みなさまへのお礼も兼ねてバシバシ書いていきますから、ヨロシクお願いします。
2005年11月11日
入院しちゃいました
私、本日入院することになってしまいました。
と、言っても生死に関わるような重病ではありません。
“自然気胸”と言う病気で、肺に穴が開いてしまい、空気が体内に漏れてしまったんです。
とりあえず管を突っ込んで空気を抜く処置をしました。
穴がふさがるまで一週間ほど入院になりそうです。
しばらくエントリ出来なくなりますが、退院したらまたガシガシ書きますから。
と、言っても生死に関わるような重病ではありません。
“自然気胸”と言う病気で、肺に穴が開いてしまい、空気が体内に漏れてしまったんです。
とりあえず管を突っ込んで空気を抜く処置をしました。
穴がふさがるまで一週間ほど入院になりそうです。
しばらくエントリ出来なくなりますが、退院したらまたガシガシ書きますから。
2005年11月10日
少年野球でよくある光景
○学校に来て初めて気付く、ベルト、スパイク、帽子忘れ
○選手も車に乗り、出発準備オッケーなのにお母さん待ち
○開会式、出発直前に気付く、プラカード持ち忘れ
○開会式、役員の話に飽きて、後ろの方で始まる他チームとのケンカ
○どこの開会式でも必ず見るぞ、あの議員
○開会式はなくてもいいから、閉会式には出たい
○初めて行く学校。そこに見えるのに辿り着けない
○遠征だと必ず出て来る乗り物酔い
○その酔いやすい子を誰の車に乗せるかでまたひともめ
○校庭にクラスメイトの女子が現れると意識し出す6年生
○グランドより遊具に先に目が行く低学年
○試合開始、主審の「集合!」の掛け声にタイミングが合わずぐだぐだなる
○何試合もやってるのにいつもキレイに整列が出来ない後ろの方
○いいかげんに覚えてくれよ、整列でラインを踏むな
○試合中、気が付くと外野を歩いている弟、妹
○試合より砂遊びに集中する1年生
○毎回言ってるでしょ、ファールのコールがあるまでボールに触っちゃダメ
○審判後ろのファールボールは勝負だ、絶対に相手に取られるな!
○お腹が痛い演技は上手いのに、自打球が当たった演技は下手
○「ストライクでいいよ!」ってそのストライクを取るのが大変なんだよ
○「今、何アウト?」と聞き、監督に怒られる選手
○「あと何点でコールド?」そんな話をベンチでし始めると点を取られる
○監督、サインミスをそんなに大きい声で注意したらサインがバレちゃうよ
○6回裏、2点差に広げられたあとはスクイズ
○強いチームほど初球スチールは少ない
○審判のコールよりも大きいお母さんの声
○試合終了、チームの荷物を片付けないのはいつも決まった子
○もう帰ろう、その時に決まって言い出す「僕、トイレ」
○2試合もやったのにまだ帰りの車ではしゃぐ元気があるの?
○クソガキでも寝顔だけは可愛いんだよね、静かで快適だから、学校に着くまで寝ててくれ
○選手も車に乗り、出発準備オッケーなのにお母さん待ち
○開会式、出発直前に気付く、プラカード持ち忘れ
○開会式、役員の話に飽きて、後ろの方で始まる他チームとのケンカ
○どこの開会式でも必ず見るぞ、あの議員
○開会式はなくてもいいから、閉会式には出たい
○初めて行く学校。そこに見えるのに辿り着けない
○遠征だと必ず出て来る乗り物酔い
○その酔いやすい子を誰の車に乗せるかでまたひともめ
○校庭にクラスメイトの女子が現れると意識し出す6年生
○グランドより遊具に先に目が行く低学年
○試合開始、主審の「集合!」の掛け声にタイミングが合わずぐだぐだなる
○何試合もやってるのにいつもキレイに整列が出来ない後ろの方
○いいかげんに覚えてくれよ、整列でラインを踏むな
○試合中、気が付くと外野を歩いている弟、妹
○試合より砂遊びに集中する1年生
○毎回言ってるでしょ、ファールのコールがあるまでボールに触っちゃダメ
○審判後ろのファールボールは勝負だ、絶対に相手に取られるな!
○お腹が痛い演技は上手いのに、自打球が当たった演技は下手
○「ストライクでいいよ!」ってそのストライクを取るのが大変なんだよ
○「今、何アウト?」と聞き、監督に怒られる選手
○「あと何点でコールド?」そんな話をベンチでし始めると点を取られる
○監督、サインミスをそんなに大きい声で注意したらサインがバレちゃうよ
○6回裏、2点差に広げられたあとはスクイズ
○強いチームほど初球スチールは少ない
○審判のコールよりも大きいお母さんの声
○試合終了、チームの荷物を片付けないのはいつも決まった子
○もう帰ろう、その時に決まって言い出す「僕、トイレ」
○2試合もやったのにまだ帰りの車ではしゃぐ元気があるの?
○クソガキでも寝顔だけは可愛いんだよね、静かで快適だから、学校に着くまで寝ててくれ
2005年11月09日
まーぼの部屋大公開

まーぼの部屋大公開でございます。
本来なら人様にお見せするようなものじゃないんですけどね。特につい1週間前まではとんでもない事になってましたからね。。
この年齢の男の子ですからみんなそんなもんなんじゃないの?って思ってました。自分もそうでしたから。
だとしてもすごかったんすよ。辺りに散乱するプリント、衣類、タオルなどなど。一つにまとまっている物と言えば野球道具だけ。
何度言っても腰を上げず、ようやく片付け始めても一向に片付かない。そんな事の繰り返しでした。
そりゃあ、そうですよ。以前、部屋を片付けろって強く言ったら最初に手を付けたのどこだと思います?
引き出しですよ、引き出し!
がっくり肩落としちゃいましたよ。君の目には床に散乱しているプリント、衣類、タオルが目に入らないのかい?
こんな事が毎回ですからねぇ。
そこで重い腰を上げたのは片付け好きのお姉ちゃん。
たまたま兄弟揃って早い帰宅の日。始まりましたよ、抜本的改革。家族みんなが待ち望んだ改革ですよ。
延々4時間近く掛けて徹底的にやってくれました。
その結果が写真です。携帯のカメラですから画角の問題があって部屋全体は撮れませんでした。
しかし、それでもオッケーです。しっかり床のじゅうたんが見えるってのが重要ですから。
今回のエントリーは“こんなにキレイに片付いていた時もあったんだよ”という証拠写真でもあります。
片付けた日から1週間。まだキレイな状態が保たれてます。以前本人が片付けた時なら、1週間あれば余裕で元の状態に戻ってましたから驚くべき事です。
いつかまたトンでもない状態になったらその時は遠慮なく、とんでもない事になってるヤツの部屋を世界発信してやります。乞うご期待。(笑)
2005年11月08日
夏生まれ、冬生まれ
つい先ほど、とあるブログに
〜夏生まれだから寒さに弱い〜
とコメントした時に、ふと思ったんですが、これって実際どうなんでしょう?
夏生まれは暑さに強く、冬生まれは寒さに強い。よく言われる事ですよね。
かく言う私は2月生まれです。とてつもなく寒い明け方に横浜で生まれました。
そんな私はどちらかと言うと、寒さに強い方かも知れません。
冬場の張り込みでも、膝掛けを足下に掛けてダウンジャケットを着てればエンジン掛けないでも平気だし。
『冬はどんなに寒くても着込めばいい。だけど夏はそれこそ裸になったって暑いもんは暑い』
と言うのが持論です。
ちなみに我が家は奥さんが7月、まーぼが8月、娘が9月。
オレ以外はみんな暑い時期に生まれてます。
だからかもしれませんが、エアコンのかけ始めの時期で、いつも私は孤立してしまいます。
夏は私も好きですよ。日焼けするのも全然苦にならないし。元々海の近くで育ってますから。
ただ、家でじっとしてる時に暑いのは耐えられない。外出した時に暑いのは良いけど、車や家など居住空間は快適であって欲しいと思っちゃうんですよ。
でも、毎年孤立しちゃうんですよねぇ。
まーぼは「あまりエアコンの効いた部屋にいると、練習の時にバテてしまうから止めろ」とすぐ言い出すし。
娘は「家に入って涼しいと思ったらやっぱり父さんがいたんだ」ってさげすむ様な目で見るし。
奥さんは「夜は良いけど昼間は付けるな」とか言うし。
その昼間が死ぬほど暑いんだって言うのに!
我が家のある和光市の隣には練馬区があります。練馬って言うのはヒートアイランド現象で気温が都内でも異常に高くなることが良く知られてます。全国的に気温が一番高いって事が何度もあったりする様なところなんですよ。それでもエアコンをとがめられるってどうなんでしょう。
そのくせ冬になると、オレはまだいらんって言ってるのに、いない内にコタツ布団が出されてるし。
もちろん、暑いのが嫌いな夏生まれや、寒いのが苦手な冬生まれって人もいるでしょう。
だけど、やっぱり統計取ってみたらきっと『夏生まれは暑さに強く、冬生まれは寒さに強い』のだろうと思ってます。
〜夏生まれだから寒さに弱い〜
とコメントした時に、ふと思ったんですが、これって実際どうなんでしょう?
夏生まれは暑さに強く、冬生まれは寒さに強い。よく言われる事ですよね。
かく言う私は2月生まれです。とてつもなく寒い明け方に横浜で生まれました。
そんな私はどちらかと言うと、寒さに強い方かも知れません。
冬場の張り込みでも、膝掛けを足下に掛けてダウンジャケットを着てればエンジン掛けないでも平気だし。
『冬はどんなに寒くても着込めばいい。だけど夏はそれこそ裸になったって暑いもんは暑い』
と言うのが持論です。
ちなみに我が家は奥さんが7月、まーぼが8月、娘が9月。
オレ以外はみんな暑い時期に生まれてます。
だからかもしれませんが、エアコンのかけ始めの時期で、いつも私は孤立してしまいます。
夏は私も好きですよ。日焼けするのも全然苦にならないし。元々海の近くで育ってますから。
ただ、家でじっとしてる時に暑いのは耐えられない。外出した時に暑いのは良いけど、車や家など居住空間は快適であって欲しいと思っちゃうんですよ。
でも、毎年孤立しちゃうんですよねぇ。
まーぼは「あまりエアコンの効いた部屋にいると、練習の時にバテてしまうから止めろ」とすぐ言い出すし。
娘は「家に入って涼しいと思ったらやっぱり父さんがいたんだ」ってさげすむ様な目で見るし。
奥さんは「夜は良いけど昼間は付けるな」とか言うし。
その昼間が死ぬほど暑いんだって言うのに!
我が家のある和光市の隣には練馬区があります。練馬って言うのはヒートアイランド現象で気温が都内でも異常に高くなることが良く知られてます。全国的に気温が一番高いって事が何度もあったりする様なところなんですよ。それでもエアコンをとがめられるってどうなんでしょう。
そのくせ冬になると、オレはまだいらんって言ってるのに、いない内にコタツ布団が出されてるし。
もちろん、暑いのが嫌いな夏生まれや、寒いのが苦手な冬生まれって人もいるでしょう。
だけど、やっぱり統計取ってみたらきっと『夏生まれは暑さに強く、冬生まれは寒さに強い』のだろうと思ってます。
2005年11月07日
悲しき間違い
日曜の夜、オレは寒い河川敷から都内に移動し、仕事をしてたんだけど、その間に一本の電話が掛かってきたそうだ。
電話の相手はシニアの事務局長だったんだけど、その電話を取ったのはまーぼだった。
「○○シニアの△△です。□□さんさー」
相手の事務局長はオレだとまったく疑わずにいきなりしゃべり始めたらしい。
オレは「これから仕事だからから早く帰る」って話したでしょうに。(笑)
突然話始めた相手に慌てたまーぼ。
「母さんに代わります!」
それだけ言って母さんに受話器を放り投げたらしい。(笑)
最近とみに声が低くなってきたまーぼ。ついに親父と間違えられるようになってしまったか。
姉ちゃんはすでに何度も母さんと間違えられてる。間違えてるのは主にそそっかしいS君父ですが。
そういえば、昔。中学の頃だったかなぁ、オレも親父と間違えられたのは。
かなりショックだったって記憶があるなぁ。
電話の相手はシニアの事務局長だったんだけど、その電話を取ったのはまーぼだった。
「○○シニアの△△です。□□さんさー」
相手の事務局長はオレだとまったく疑わずにいきなりしゃべり始めたらしい。
オレは「これから仕事だからから早く帰る」って話したでしょうに。(笑)
突然話始めた相手に慌てたまーぼ。
「母さんに代わります!」
それだけ言って母さんに受話器を放り投げたらしい。(笑)
最近とみに声が低くなってきたまーぼ。ついに親父と間違えられるようになってしまったか。
姉ちゃんはすでに何度も母さんと間違えられてる。間違えてるのは主にそそっかしいS君父ですが。
そういえば、昔。中学の頃だったかなぁ、オレも親父と間違えられたのは。
かなりショックだったって記憶があるなぁ。
2005年11月06日
冬と言えば汁物
今日は横浜のチームを招いてオープン戦。
キャッチャーというポジションゆえか、まーぼはまたしても2年生チームの方に合流となった。
我が家は奥さんが当番だったため、早朝7時にはグランドに到着。朝からせっせとお手伝いにいそしんでおりました。
この日の河川敷は気温15℃そこそこ。北の方にお住まいの方からすれば「なんだよ、暖かいじゃないか」というような気温でしょうが、昨日が20℃オーバー。昼間は半袖でも平気な状態でしたから、その落差を考えると寒いこと寒いこと。
本格的に冬〜!って感じになればそれなりに防寒も考えるんですが、こちらではまだそこまではって思っちゃうんですよね。
しかも去年の冬も感じたけど、河川敷って吹きさらしだから余計に寒いんですよね。
動き回ってる選手は汗かいてるけど、バックネット裏の父兄は火でも側にないとやってられないんですよね。
そんな時にウレシイのが昼食に配られる暖かい汁物。本日は卵、たまねぎ、お麩の入ったみそ汁。婦人部のお母さん達が作ってくれるんですが、もしかしたら選手以上に喜んでるのは親父達かもしれない。
練習日なら色々仕事もあるんだけど、試合の時は主な仕事は審判ぐらい。もっぱら観戦がメインの仕事となる。じーっとしてしまう時間が長いからどんどん体が冷えていくんですよね。
ウチの奥さんも当然お手伝いしてました。大量のタマネギを切ってさっそく一泣きしたらしい。そのあとは煙にまかれて二泣き。
決して“鬼の目にも・・・”なんて言ってはいけません。言ってません、断じて。
去年はバックネット近くで火をおこし、そこで作っていたんだけど、今年は諸般の事情でグランド奥で作ることに。そこまで鍋運んだり、水運んだり、材料運んだりと、力仕事じゃないか?と思ってしまうことまで頑張ってやってくれてました。
ごちそうさまでした。m(_ _)mどうやらウチの婦人部の方が私のつたないブログをチェックしてくれてるみたいですから、きっちりお礼させていただきます。ついでにコメントもしてくれるともっとありがたいんですが。(^^)
さてさて、肝心のまーぼの方ですが、今日は2試合とも出場機会は無し。
ずっと控えキャッチャーをやってました。
同じキャッチャーの1年生が1試合目ではサードで、2試合目ではキャッチャーでスタメン出場していた。ライバルにまた一歩先に行かれた格好だ。(普段ファーストで出場しているキャプテンが成長痛でフル出場出来ないという事情もあったんですが)
とはいえ、私にはまったく焦りも悔しさもありません。(本人はどうかわかりませんが)
ライバルは小学校時代からキャッチャー経験もあり、バッティングも良いし、足も速い。元々持ってるポテンシャルが違います。まーぼが勝ってるのは体格くらいのもの。
それでも目標に向かってコツコツやっていく努力は決してひけを取らないと思ってますから、いつか立場が逆転出来る日があるのではと思ってます。願望込みですが。
来週は千葉の奥地まで2年生の遠征に帯同します。私もおそらく車出しで一緒に行くでしょう。はたして来週は出番があるのかなぁ。
キャッチャーというポジションゆえか、まーぼはまたしても2年生チームの方に合流となった。
我が家は奥さんが当番だったため、早朝7時にはグランドに到着。朝からせっせとお手伝いにいそしんでおりました。
この日の河川敷は気温15℃そこそこ。北の方にお住まいの方からすれば「なんだよ、暖かいじゃないか」というような気温でしょうが、昨日が20℃オーバー。昼間は半袖でも平気な状態でしたから、その落差を考えると寒いこと寒いこと。
本格的に冬〜!って感じになればそれなりに防寒も考えるんですが、こちらではまだそこまではって思っちゃうんですよね。
しかも去年の冬も感じたけど、河川敷って吹きさらしだから余計に寒いんですよね。
動き回ってる選手は汗かいてるけど、バックネット裏の父兄は火でも側にないとやってられないんですよね。
そんな時にウレシイのが昼食に配られる暖かい汁物。本日は卵、たまねぎ、お麩の入ったみそ汁。婦人部のお母さん達が作ってくれるんですが、もしかしたら選手以上に喜んでるのは親父達かもしれない。
練習日なら色々仕事もあるんだけど、試合の時は主な仕事は審判ぐらい。もっぱら観戦がメインの仕事となる。じーっとしてしまう時間が長いからどんどん体が冷えていくんですよね。
ウチの奥さんも当然お手伝いしてました。大量のタマネギを切ってさっそく一泣きしたらしい。そのあとは煙にまかれて二泣き。
決して“鬼の目にも・・・”なんて言ってはいけません。言ってません、断じて。
去年はバックネット近くで火をおこし、そこで作っていたんだけど、今年は諸般の事情でグランド奥で作ることに。そこまで鍋運んだり、水運んだり、材料運んだりと、力仕事じゃないか?と思ってしまうことまで頑張ってやってくれてました。
ごちそうさまでした。m(_ _)mどうやらウチの婦人部の方が私のつたないブログをチェックしてくれてるみたいですから、きっちりお礼させていただきます。ついでにコメントもしてくれるともっとありがたいんですが。(^^)
さてさて、肝心のまーぼの方ですが、今日は2試合とも出場機会は無し。
ずっと控えキャッチャーをやってました。
同じキャッチャーの1年生が1試合目ではサードで、2試合目ではキャッチャーでスタメン出場していた。ライバルにまた一歩先に行かれた格好だ。(普段ファーストで出場しているキャプテンが成長痛でフル出場出来ないという事情もあったんですが)
とはいえ、私にはまったく焦りも悔しさもありません。(本人はどうかわかりませんが)
ライバルは小学校時代からキャッチャー経験もあり、バッティングも良いし、足も速い。元々持ってるポテンシャルが違います。まーぼが勝ってるのは体格くらいのもの。
それでも目標に向かってコツコツやっていく努力は決してひけを取らないと思ってますから、いつか立場が逆転出来る日があるのではと思ってます。願望込みですが。
来週は千葉の奥地まで2年生の遠征に帯同します。私もおそらく車出しで一緒に行くでしょう。はたして来週は出番があるのかなぁ。
2005年11月05日
逆手で食え!〜その後
まーぼの左手及び左手首強化のためにKコーチから伝授された『逆手で食え』作戦を実施し始めたのは今週の月曜のことでした。
私は仕事中だったんで、晩飯後のまーぼに電話して様子を聞いてみました。
「すっげーむずかしい。今日は魚だったんだけどさぁ、全然ムリだった。時間は倍はかかんなかったけど1時間以上掛かっちゃったよ。」
帰宅後に奥さんに聞いてみたら、詳しいことがよく分かった。
どうやら最初は、食べるとか以前の問題だったらしい。
今まで考えなくても出来ていた事なのに、逆手にするだけで、指をどう動かしたら良いのかすらわからなかったようだ。
考え込んでしまったまーぼは、まず両手に箸を持つことから始めてみた。
まず右手で箸を動かし、その動きをじーっと見る。それから左手に視線を移し、左手でマネしてみる。しかしなかなか思う様には動いてくれない。また右手を見る、左手動かす。そんなことを食べ始めるまでにしばーらくやってたらしい。
動かし方をある程度理解出来てから食べ始めたものの、やっぱり思う通りには動いてくれなかった様だ。
元々食べるのが早い方ではなかったけど、いつも以上にたっぷりと時間が掛かってしまった。しかもゆっくり食べたもんだから、いつもより少量で満腹になってしまったらしい。
それでも飽きずにちゃんと毎日続けていたお陰か、だんだんと慣れて日に日に滑らかに動くようになったようだ。金曜には給食も左手食べてみたらしい。
で、久々に一緒の食事となった今日。自分のおかずより気になったのは当然まーぼの箸使い。横目でチラチラとまーぼの手元を見ながらの食事となった。
すると、どうでしょう。まったく違和感がないんですよ。こいつ元々左利きだったっけ?なんて思ってしまうくらい。大人のオレがやったらもーっと時間が掛かったでしょうが、やはり若い内は柔軟なんですね。
メニューがさほど箸をふんだんに使う物じゃなかったからかも知れないけど。
まさか1週間足らずでここまで出来る様になるとは思いませんでしたよ。
来週末に見る時にはもっと上手になってることでしょう。きっと魚もほぐすことだって出来るでしょう。
(水曜に魚が出たけど、ほぐすのはさすがに右手を使ったらしい)
とは言え、今上手くなったのはあくまでも箸。バットじゃありません。
当然、まだまだ野球の方に結びつく段階じゃない。
でも、毎日必ずしている食事で、野球のトレーニングが出来るってホントに良いですよ。
野球もこれくらい順調に上達してくれると嬉しいんですけどね。
私は仕事中だったんで、晩飯後のまーぼに電話して様子を聞いてみました。
「すっげーむずかしい。今日は魚だったんだけどさぁ、全然ムリだった。時間は倍はかかんなかったけど1時間以上掛かっちゃったよ。」
帰宅後に奥さんに聞いてみたら、詳しいことがよく分かった。
どうやら最初は、食べるとか以前の問題だったらしい。
今まで考えなくても出来ていた事なのに、逆手にするだけで、指をどう動かしたら良いのかすらわからなかったようだ。
考え込んでしまったまーぼは、まず両手に箸を持つことから始めてみた。
まず右手で箸を動かし、その動きをじーっと見る。それから左手に視線を移し、左手でマネしてみる。しかしなかなか思う様には動いてくれない。また右手を見る、左手動かす。そんなことを食べ始めるまでにしばーらくやってたらしい。
動かし方をある程度理解出来てから食べ始めたものの、やっぱり思う通りには動いてくれなかった様だ。
元々食べるのが早い方ではなかったけど、いつも以上にたっぷりと時間が掛かってしまった。しかもゆっくり食べたもんだから、いつもより少量で満腹になってしまったらしい。
それでも飽きずにちゃんと毎日続けていたお陰か、だんだんと慣れて日に日に滑らかに動くようになったようだ。金曜には給食も左手食べてみたらしい。
で、久々に一緒の食事となった今日。自分のおかずより気になったのは当然まーぼの箸使い。横目でチラチラとまーぼの手元を見ながらの食事となった。
すると、どうでしょう。まったく違和感がないんですよ。こいつ元々左利きだったっけ?なんて思ってしまうくらい。大人のオレがやったらもーっと時間が掛かったでしょうが、やはり若い内は柔軟なんですね。
メニューがさほど箸をふんだんに使う物じゃなかったからかも知れないけど。
まさか1週間足らずでここまで出来る様になるとは思いませんでしたよ。
来週末に見る時にはもっと上手になってることでしょう。きっと魚もほぐすことだって出来るでしょう。
(水曜に魚が出たけど、ほぐすのはさすがに右手を使ったらしい)
とは言え、今上手くなったのはあくまでも箸。バットじゃありません。
当然、まだまだ野球の方に結びつく段階じゃない。
でも、毎日必ずしている食事で、野球のトレーニングが出来るってホントに良いですよ。
野球もこれくらい順調に上達してくれると嬉しいんですけどね。
2005年11月04日
言い訳です
はい、どうもどうも。かにでございます。
皆さんよーくお分かりの様に昨日のエントリーは手抜きでございます。
えぇ、手抜きですよ。
だって疲れてヘロヘロだったんだもん。眠かったし。
はい、言い訳です。言い訳ですよ。
ことは一昨日の夜に遡るんですが、この日はいつもよりは少し早く帰宅してました。翌日のこともあるから早く寝ようと思って床に付いたものの、なんだかちっとも眠くない。
そりゃあそうです。普段は明け方に寝て昼過ぎに起きるって生活してますからね。まぁ、普通の人と12時間ひっくり返したような生活をしてる訳ですよ。
眠くないけど何とか寝ようと努力してみたけど、こういう時ってどれだけ努力してもダメなんですよねぇ。
結局5時近くまで読書して過ごしてしまいました。
で、起床は7時前。
祝日ですからね、午前中には低学年の練習試合が予定されてました。
ホントならグランド設営も兼ねて7時半に集合だったんですが、無理ですよ、さっき起きたんですから。
それでもなんとか8時前にグランドに到着し、予定通り練習試合の塁審をこなし、午前中は終了しました。
昼飯をコンビニで買って済ませたら、今度は午後から行われる高学年の試合です。
私は卒団する6年生に贈呈する写真を撮る係を仰せつかってますから、残り少ないこの試合を見ない訳にはいきません。
この日行われたのは埼玉県南部地区ではかなり大きな大会。一昨年優勝している縁起のいい大会だ。
今年は優勝がない6年生にとっても残り少ない大会の中でも一番勝ちたい大会だろう。
そんな気合の入る写真を撮るためですから、応援席から声を掛けつつ撮り続けました。
試合は両チームランナーは出すもののあと一本が出ず、0対0で7回を終了した。
ノーアウト満塁から始まったサドンデス。これまで連打を防いでいたピッチャーM君の球がこの回に限ってうわずってしまい、連打を許して3点を奪われてしまう。
取られた点は取り返せばいいだけなんですが、こちらの攻撃は全て外野フライ。万事休すです。
力が入る一戦を終え、肩を落として自宅に戻り、夕方からの仕事に備えてベットに入り、ダラーと横になった時に携帯でピッピッポンと送ったのが昨日のエントリーなんですよ。
どうですか。大変だったでしょう。
毎週土曜は似た様な状況なんですが、この日は祝日ですからね。世間の休みに関係なく仕事はあるんですよ。それがなければもう少し楽なんですけどね。なまじっか昼が空いてるからつい少年野球に行っちゃうんですよねぇ。
だったら無理にエントリーしないでもって話もありますが、材料が携帯に入っちゃってたもんだからつい・・・。
で、今日は睡眠十分ですから、ばっちり書いてやろうとパソコンに向かった訳ですが、もうすでに結構書いてますねぇ。
ホントは低学年の試合の話でも書こうかなと思っていましたが、それはまた別の機会にしましょう。
今日のエントリーは『言い訳』ってことで。ではでは、みなさま良い週末を過ごしましょうね。
皆さんよーくお分かりの様に昨日のエントリーは手抜きでございます。
えぇ、手抜きですよ。
だって疲れてヘロヘロだったんだもん。眠かったし。
はい、言い訳です。言い訳ですよ。
ことは一昨日の夜に遡るんですが、この日はいつもよりは少し早く帰宅してました。翌日のこともあるから早く寝ようと思って床に付いたものの、なんだかちっとも眠くない。
そりゃあそうです。普段は明け方に寝て昼過ぎに起きるって生活してますからね。まぁ、普通の人と12時間ひっくり返したような生活をしてる訳ですよ。
眠くないけど何とか寝ようと努力してみたけど、こういう時ってどれだけ努力してもダメなんですよねぇ。
結局5時近くまで読書して過ごしてしまいました。
で、起床は7時前。
祝日ですからね、午前中には低学年の練習試合が予定されてました。
ホントならグランド設営も兼ねて7時半に集合だったんですが、無理ですよ、さっき起きたんですから。
それでもなんとか8時前にグランドに到着し、予定通り練習試合の塁審をこなし、午前中は終了しました。
昼飯をコンビニで買って済ませたら、今度は午後から行われる高学年の試合です。
私は卒団する6年生に贈呈する写真を撮る係を仰せつかってますから、残り少ないこの試合を見ない訳にはいきません。
この日行われたのは埼玉県南部地区ではかなり大きな大会。一昨年優勝している縁起のいい大会だ。
今年は優勝がない6年生にとっても残り少ない大会の中でも一番勝ちたい大会だろう。
そんな気合の入る写真を撮るためですから、応援席から声を掛けつつ撮り続けました。
試合は両チームランナーは出すもののあと一本が出ず、0対0で7回を終了した。
ノーアウト満塁から始まったサドンデス。これまで連打を防いでいたピッチャーM君の球がこの回に限ってうわずってしまい、連打を許して3点を奪われてしまう。
取られた点は取り返せばいいだけなんですが、こちらの攻撃は全て外野フライ。万事休すです。
力が入る一戦を終え、肩を落として自宅に戻り、夕方からの仕事に備えてベットに入り、ダラーと横になった時に携帯でピッピッポンと送ったのが昨日のエントリーなんですよ。
どうですか。大変だったでしょう。
毎週土曜は似た様な状況なんですが、この日は祝日ですからね。世間の休みに関係なく仕事はあるんですよ。それがなければもう少し楽なんですけどね。なまじっか昼が空いてるからつい少年野球に行っちゃうんですよねぇ。
だったら無理にエントリーしないでもって話もありますが、材料が携帯に入っちゃってたもんだからつい・・・。
で、今日は睡眠十分ですから、ばっちり書いてやろうとパソコンに向かった訳ですが、もうすでに結構書いてますねぇ。
ホントは低学年の試合の話でも書こうかなと思っていましたが、それはまた別の機会にしましょう。
今日のエントリーは『言い訳』ってことで。ではでは、みなさま良い週末を過ごしましょうね。
2005年11月03日
見るも無残

仕事中に銀座で発見した。
あまりにいっぱい踏まれてこんなにぺっちゃんこに・・・・って元からじゃーん!
2005年11月02日
校内音楽会
前回の話が、あまりに下品でしたから、今回はお上品な話題です。
先日、我が子が通う中学の校内音楽会が開かれました。
この音楽会は、クラス単位で課題曲と自由曲を歌い、学年ごとにその1位を決め、1位になったクラスは市内音楽会に出場出来ることになっている。いわゆる合唱コンクールってやつです。
中3の娘にとっては最後の音楽会。
元々小学生時代に『少年少女合唱団』に入っていた娘にとって、大好きなイベントです。
しかし、大好きがゆえに一生懸命にやらない男子に苦しんできて。
この年齢の男子って、変に合唱に対して斜に構えるというか、一生懸命合唱するなことが格好悪いって考えるヤツが多いみたいで、1年、2年と男女の声のバランスが悪すぎて学年1位を取ることは出来なかった。
ウチの学校は結構合唱に力を入れてるんです。(そのくせ合唱部はないんですが)
音楽会の事前には、プロの方を呼んで、各クラスを回って指導をしてもらったりしています。
もう部活も引退している3年生にとっては朝と夕方たっぷりと練習する時間がある。
音楽会の1週間前辺りからは、部活をしているまーぼと変わらない位の帰宅時間でした。
それまでは娘だけはオレが仕事に行く前に帰宅してました。
それがこの一週間、朝はオレがぐっすり寝ている内に出掛け、夕方は仕事に行ったあとに帰宅していた。週末に久しぶりに娘に会った。様子を聞いてみると、「良い感じだよ」と、とても良い表情で話してくれた。
そんなこんなで音楽会当日を迎えた。
会場は市内のホール。一階席には生徒が、父兄は二階席に座ることになってます。もう3度目ですからね、その辺は承知の上です。仕事用の双眼鏡を持参で会場入りしました。。
まずは一年生から始まります。
忘れてましたがウチには一年生の坊主がいました。
一学期に音楽で『2』を取った坊主です。
はっきりいってまるで期待してませんでした。
そしてその通り、こんなもんだろうという状態でした。(笑)
私は元ブラスバンド部ですからね、耳をこらせば坊主の声くらい発見出来る。現に去年、一昨年はちゃんと娘の声を発見しましたから。
ところがこの時は全然ムリ。ちっとも聞こえない。奥さんいわく「ありゃあ、口パクだな。」
お前は大物アーティストかっての!
二年生を挟んでいよいよ三年生の出番となった。
娘のクラスは4クラス中3番目。
一組目が歌い始めた。
三年生の課題曲は「ふるさと」しかも伴奏ナシのアカペラ。
正直、二年生の合唱が今一つだったんで、ちょっとダレた空気になっていたんだけど、三年生が歌い始めたとたんにその空気は一変した。
ビックリするほど上手いんです。男女の声量のバランスも、全体としての声量も申し分ナシ。
どっかの合唱部って言われても疑問には思わなかったでしょう。
デクレッシェンドするときでも声がよれたりしないし。(覚えてますか?だんだん小さくなる記号ですよ)
ただ自由曲は難しい曲にチャレンジしすぎ。素晴らしいハーモニーとまでは行かなかった。
続いて出た二組目も同じような感じ。
一組目が飛び抜けて上手いと感じなかった。
そして三番目に登場したのが娘のクラス。
歌詞の雰囲気を重視したというだけあって、情景が浮かぶようなすごく雰囲気の良い歌い方だった。
自由曲も難易度がさほど高くないから気持ち良く曲に入り込めるし、双眼鏡で見た娘もとても楽しそうに歌っていた。
最後のクラスもよく歌っていて、全体的にレベルが高く、さすがは三年生と関心してしまうほどだった。
ただ評価となるとこれは好みの問題だなぁ、と思いました。私はもちろん娘のクラスが一番だと思いましたが。
しかし結果は最後に歌った4組が一位になりました。
結果は帰ってきた娘から聞いたんですが、やり切った充実感にあふれる顔をしてました。
スポーツとは違いますが、全力を出し切った時の表情って良いですよね。
これまで二年間、娘は音楽会の日にそんな顔して帰宅したことはありませんでしたからね。
そういった意味でも本当に良い音楽会でした。
あ、坊主のクラスですか?
当然ダメでした。なんせ口パクやるようなやつがいるクラスですからね。
先日、我が子が通う中学の校内音楽会が開かれました。
この音楽会は、クラス単位で課題曲と自由曲を歌い、学年ごとにその1位を決め、1位になったクラスは市内音楽会に出場出来ることになっている。いわゆる合唱コンクールってやつです。
中3の娘にとっては最後の音楽会。
元々小学生時代に『少年少女合唱団』に入っていた娘にとって、大好きなイベントです。
しかし、大好きがゆえに一生懸命にやらない男子に苦しんできて。
この年齢の男子って、変に合唱に対して斜に構えるというか、一生懸命合唱するなことが格好悪いって考えるヤツが多いみたいで、1年、2年と男女の声のバランスが悪すぎて学年1位を取ることは出来なかった。
ウチの学校は結構合唱に力を入れてるんです。(そのくせ合唱部はないんですが)
音楽会の事前には、プロの方を呼んで、各クラスを回って指導をしてもらったりしています。
もう部活も引退している3年生にとっては朝と夕方たっぷりと練習する時間がある。
音楽会の1週間前辺りからは、部活をしているまーぼと変わらない位の帰宅時間でした。
それまでは娘だけはオレが仕事に行く前に帰宅してました。
それがこの一週間、朝はオレがぐっすり寝ている内に出掛け、夕方は仕事に行ったあとに帰宅していた。週末に久しぶりに娘に会った。様子を聞いてみると、「良い感じだよ」と、とても良い表情で話してくれた。
そんなこんなで音楽会当日を迎えた。
会場は市内のホール。一階席には生徒が、父兄は二階席に座ることになってます。もう3度目ですからね、その辺は承知の上です。仕事用の双眼鏡を持参で会場入りしました。。
まずは一年生から始まります。
忘れてましたがウチには一年生の坊主がいました。
一学期に音楽で『2』を取った坊主です。
はっきりいってまるで期待してませんでした。
そしてその通り、こんなもんだろうという状態でした。(笑)
私は元ブラスバンド部ですからね、耳をこらせば坊主の声くらい発見出来る。現に去年、一昨年はちゃんと娘の声を発見しましたから。
ところがこの時は全然ムリ。ちっとも聞こえない。奥さんいわく「ありゃあ、口パクだな。」
お前は大物アーティストかっての!
二年生を挟んでいよいよ三年生の出番となった。
娘のクラスは4クラス中3番目。
一組目が歌い始めた。
三年生の課題曲は「ふるさと」しかも伴奏ナシのアカペラ。
正直、二年生の合唱が今一つだったんで、ちょっとダレた空気になっていたんだけど、三年生が歌い始めたとたんにその空気は一変した。
ビックリするほど上手いんです。男女の声量のバランスも、全体としての声量も申し分ナシ。
どっかの合唱部って言われても疑問には思わなかったでしょう。
デクレッシェンドするときでも声がよれたりしないし。(覚えてますか?だんだん小さくなる記号ですよ)
ただ自由曲は難しい曲にチャレンジしすぎ。素晴らしいハーモニーとまでは行かなかった。
続いて出た二組目も同じような感じ。
一組目が飛び抜けて上手いと感じなかった。
そして三番目に登場したのが娘のクラス。
歌詞の雰囲気を重視したというだけあって、情景が浮かぶようなすごく雰囲気の良い歌い方だった。
自由曲も難易度がさほど高くないから気持ち良く曲に入り込めるし、双眼鏡で見た娘もとても楽しそうに歌っていた。
最後のクラスもよく歌っていて、全体的にレベルが高く、さすがは三年生と関心してしまうほどだった。
ただ評価となるとこれは好みの問題だなぁ、と思いました。私はもちろん娘のクラスが一番だと思いましたが。
しかし結果は最後に歌った4組が一位になりました。
結果は帰ってきた娘から聞いたんですが、やり切った充実感にあふれる顔をしてました。
スポーツとは違いますが、全力を出し切った時の表情って良いですよね。
これまで二年間、娘は音楽会の日にそんな顔して帰宅したことはありませんでしたからね。
そういった意味でも本当に良い音楽会でした。
あ、坊主のクラスですか?
当然ダメでした。なんせ口パクやるようなやつがいるクラスですからね。
張り込み中にとてつもなく困ること
※今回の話は下品な内容が多分に含まれます。ご婦人はご注意下さい。※
一口に張り込みと言っても、ターゲットがいるかいないか分からない緊張感のない場面だったり、確実にいない場面が当然ある訳です。
逆にターゲットが間違いなくいる、もしくはイベントなどでターゲットを待つだけ、ということもある。
前者の場合は良いんですが、後者の場合。なによりも困ることがあるんです。
言うまでもなく、あれです。生理現象ですよ。
今まさにターゲットがやってくるかも知れない。その時のために自分の配置があって、チーム4〜5人(時にはそれ以上)が自分の無線の声で動きを開始するんですよ。
そんな時にのこのこトイレに行っていて、見逃しでもしたら、それこそチーム全員の数時間が無駄になってしまう。となると行けない訳ですよ。トイレになんて。
しかし、一度したくなったら止まらないですよねぇ、あれが。
それなら男なんだからそこらでしちゃえばいいじゃん。って思うでしょ。
そりゃあ、そうですよ。出来る場所があるならそこらでしちゃいますよ。私だって。
立って出来るっていう便利な機能がありますからね、男には。
でも、その『そこら』がない場所って結構あるんですよ。
例えば銀座のど真ん中。
我々の活動時間である夜は銀座が一番賑わう時。どんな細い道にも人は歩いてるんですよ。しかもビルが密集してるから、人から死角になるような場所が極端に少ない。空き地なんてそれこそほとんどない。
そんな時はどうするか。
ビルの隙間が一番多いパターンですね。1メートル足らずの隙間に潜り込んでしちゃう訳です。
しかも目は所定の場所に向けたまま。これ、かなり大変な作業ですよ。
一つ間違えると壁にぶつかって逆襲を始めることがある。ズボンや靴に向かって。
次に多いのは自分の車で死角を作ってビルに向かってしちゃうパターン。
この場合、ビルに人がいない、店が開いてないというのが当然のお約束です。
その場合なら例え店先だろうが、ビルの入り口だろうとしちゃいます。
こっちはせっぱ詰まってるんですから、選んでる場合じゃありません。
ここまでのは裏通りだったら使えるパターンですが、表通りだったらもっと事態は深刻。
何せ車道とビルの間に広い歩道がありますから。
こんな時はどうするか。基本的にはどっかしやすい場所に早く移動してくれることを祈りつつ我慢します。
でもその我慢も限界があります。あんまり我慢し続けると膀胱炎になっちゃいますし。
ホントにせっぱ詰まってる時なら、歩道の端にある植え込みですね。当然誰にも見られないという状況じゃない。でもそこはほれ、酔っぱらいが多い町ですから、多少は目をつむってくれます。
こんな時ほど早く終わりたいものですが、そんな時に限って長いんですよね。
男なら一度は必ず経験したことあると思います。
「まだ出るよ〜。止まんねぇんじゃないか!」ってことが。
それがタクシーがバンバン通る場所で起こるんだからたまったもんじゃない。
あ、たまってるからなるのか。(笑)
で、これまで書いたのは人通りが多い場所の場合。
人通りが少ない場所でもしづらい場所がある。
その典型がホテルの駐車場。ちょっと歩けばトイレはあるんですよ、間違いなく。ホテルですからね。
しかし行けない訳ですよ、さっきから書いてる通り。
そんな時はどうするか。もう迷わずそこらでしちゃいますね。
銀座に比べれば死角はいっぱいあります。ですが、許してくれる環境でもない。
酔っぱらいなんてほとんどいない場所です。
監視カメラがある場合もある。警備員が回ってる場合もある。
だからこそ、短期決戦が基本です。出来る限り人様に迷惑が掛からない様に自分の車周辺で。
これでもまだまだ良い方です。降りて出来る訳ですから。
一番最悪なのは、追っかけてる途中で限界が来てしまった場合。
これは私はありません。限界間際ってのは何度もありましたが。
この後はあくまでも私ではなく、同僚の話としてお聞き下さい。
その時も車が発進する前からもよおしていた。しかし行くタイミングと場所がなかった。
祈る様な気持ちで「すぐに終了して真っ先に人がいない場所に駆け込む」と思っていたら、運が悪いことにターゲットの車は高速に乗ってしまった。
しかも首都高から中央道へ。追えている車は彼の車だけ。サービスエリアに逃げ込む事も出来ない。
しかし一つだけ幸いなことがあった。
彼は運転ではなく助手席。彼が後部座席で何をしていても追っかけは続行出来る。
迷わず彼は飲みかけのウーロン茶を窓から捨てて後部座席に移った。
運転している同僚には「ゴメンよ。ラジオの音を大きくしてくれ。ミラーを見ないでくれ」
と懇願して、ズボンを下げ始めた。堰を切ったように出始めると、すぐに500mlペットボトルでは足りないことに気付いた。
しかし、このとき幸運の神が彼に舞い降りた。なんと手の届くところにもう1本ペットボトルが転がっていたのだ。
すぐに2本目に突入。邪魔になる1本目は窓から外に流して捨てた。
幸いなことに3本目に突入することなく流れは止まった。
2本目も窓から流し、落ち着いてズボンをはいた。
まさか後続の車も窓から流された液体がそれとは思わなかったでしょう。
ほかにも自分で運転していたため、我慢出来ず、レインボーブリッジの上から東京湾に向かってしてしまった同僚もいる。
こんな話で、こんなに長く書くことになるとは思わなかったけど、この手の話ってほんとにいっぱいあるんですよ。先日編集部で馬鹿話をしている時に思い出す様にみんな話し始めたんだけど、そりゃあ止まらないこと止まらないこと。
こんなくだらない話を最後まで読んでいただいてありがとうございます。
どうか「こんなこともあるんだな」と水に流してください。流さないと臭くなりますから。
・・・おあとがよろしい様で。
2005年11月01日
マナー?過保護?指導?
先日、我が低学年チームが都内のチームと練習試合を行った。
残念ながら私はその試合を見ることが出来なかったんですが、監督から聞いたその様子は驚きました。
試合結果の方は13対6の勝利でした。
こちらの投手も先発こそエースを出したものの、すぐに大丈夫だと考えて、これまで当番経験のない投手候補2人にマウンドを経験させたりと、余裕の展開だったようです。
私が驚いたのはその展開ではありません。
試合中、ベンチ内では選手全員がメガホンを叩いて応援し、ファールボールは応援のお母さんが取りに行き、そのまま審判まで届けに行っていたというのだ。
私は「そのチームとはもうやるべきではないでしょう」と提案してしまいました。監督も同じように感じていたようです。
相手チームが強い弱いということが全てではありません。弱いからやるべきではないと行っている訳ではありません。
冒頭で書いた様なことが何の疑問もなく行われてるチームとはやる必要はないでしょう、って感じてしまうんですよね。
これは地域差もあるかも知れませんが、埼玉ではメガホンの使用はベンチ内では監督のみ。ファールボールはベンチにいる選手が取りに行き、選手が主審に届けるというのは常識となってます。
実力に関わらず、どのチームもそのようにしています。
わずか10人の選手で戦っている弱小チームだってそうです。
キャッチボールすらままならないチームだって同じです。
その常識をきちんと理解している高学年だったらいいんですが、試合をしていたのは低学年です。
相手チームを見て、「これでいいんだ」と思ってしまう子が現れないとも限りません。
このチームの行いが地域によるものなのか、このチームだけの事なのかは分かりません。
ですが、せめてファールボールは選手にやらせるべきだと思うんですが、どうなんでしょうか?
残念ながら私はその試合を見ることが出来なかったんですが、監督から聞いたその様子は驚きました。
試合結果の方は13対6の勝利でした。
こちらの投手も先発こそエースを出したものの、すぐに大丈夫だと考えて、これまで当番経験のない投手候補2人にマウンドを経験させたりと、余裕の展開だったようです。
私が驚いたのはその展開ではありません。
試合中、ベンチ内では選手全員がメガホンを叩いて応援し、ファールボールは応援のお母さんが取りに行き、そのまま審判まで届けに行っていたというのだ。
私は「そのチームとはもうやるべきではないでしょう」と提案してしまいました。監督も同じように感じていたようです。
相手チームが強い弱いということが全てではありません。弱いからやるべきではないと行っている訳ではありません。
冒頭で書いた様なことが何の疑問もなく行われてるチームとはやる必要はないでしょう、って感じてしまうんですよね。
これは地域差もあるかも知れませんが、埼玉ではメガホンの使用はベンチ内では監督のみ。ファールボールはベンチにいる選手が取りに行き、選手が主審に届けるというのは常識となってます。
実力に関わらず、どのチームもそのようにしています。
わずか10人の選手で戦っている弱小チームだってそうです。
キャッチボールすらままならないチームだって同じです。
その常識をきちんと理解している高学年だったらいいんですが、試合をしていたのは低学年です。
相手チームを見て、「これでいいんだ」と思ってしまう子が現れないとも限りません。
このチームの行いが地域によるものなのか、このチームだけの事なのかは分かりません。
ですが、せめてファールボールは選手にやらせるべきだと思うんですが、どうなんでしょうか?