2005年10月28日

今回は魔邪風にやってみました

おい!


松坂大輔がメジャーに挑戦したいって言ったのを「来期も必要な戦力」って簡単に突っぱねた西武球団!


「来期も必要な戦力」?


はぁ?


必要な戦力じゃなくなってから、メジャーに挑戦したって意味がねぇんだよ!


それにポスティングで行かなくたって、どうせFAで行かれちまうんだよ!
ポスティングで球団の懐に入った金を、前オーナーの保釈金のたしにしたらどうなんだ!


それになぁ。いい年してからメジャーに挑戦したら、

春先までは話題になってたけど、今じゃすっかり存在すら忘れられてる『デニー』みたいなっちまうんだよ!コラー!!

カンカンカンカーン!



(魔邪を知らない人、ごめんなさい。あ、ちなみにそのデニー君、先日麻布十番で見掛けました。案の定誰にも気付かれてませんでした。)

posted by かに at 19:52| 埼玉 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝練再開

今週から久しぶりにまーぼが朝練を再開しました。

小学校の頃は半強制的に朝練に連れ出していた私ですが、中学に入学してからは私の方から、というのはなくしました。
私が付き合わないでも出来る練習はいくらでもある。なにより自主的に練習するクセを付けさせなければと考えていたんです。今、お前ににどんな練習が必要なのか、と言うことだけは伝えて、あとは何もしませんでした。

入学から半年、彼がどんな朝を過ごしていたのは、正確には把握していませんでした。その時間は私は熟睡していましたから。

この形は変えるつもりはありませんでした。
野球をやるのはあくまで本人。本人が必要だと思えばやればいい、やらなければライバルに置いて行かれる、それだけのことです。もう中学生ですからそれくらいのことは考えられるはずです。

そんな私の考え方を、ちょっとだけ方向転換させること言われ、親子で話し合った結果が朝練再開です。

その方向転換のきっかけはあるコーチとのちょっとした会話と先輩の存在でした。

息子が小学生の時に一緒に朝練していたのは、キャプテンS君、現キャプテンのM君、今4年生でこの秋高学年に合流したK君の3人でした。
一緒にと言っても、我々親子はマンツーマン。他3人は甲子園経験者のKコーチと練習していました。KコーチはK君の親父さんです。

息子が朝練で小学校の校庭に行かなくなった後も、3人はKコーチの元で朝練をしていたようです。
S君はKコーチのことを師と仰いでいますから。

その朝練にもう一人メンバーが加わる事を聞いたのは10月半ばのことでした。
そのメンバーというのはまーぼの2年先輩のT君です。お姉ちゃんと同い年で、ウチのチームが県大会で優勝した時のエースだった子です。

その子はチーム内に限らず、近隣の少年野球関係者から、「将来、甲子園に一番近いのはこの子だろう」と言われるほどの逸材でした。6年生の時に低めがホップするような球を投げていました。
息子のとってもあこがれの尊敬する先輩です。
しかし、中学入学後のT君はあまり奮いませんでした。中学3年間をどこで過ごすか悩んだあげく学校の野球部を選びました。しかし彼にとってその選択はあまり良い物ではありませんでした。
誰が見ても素晴らしい球を投げる彼のことを良からぬ気持ちで見ていたコーチがいたんです。
その人は少年野球で我々のライバルチームのコーチも兼任している人です。
その人がT君が入学早々、「あいつの投げ方は良くない。投手に向いていない。投手をやらせない」と、断言したんです。
何度も書いていますが、顧問は野球未経験者です。経験者のコーチからそう言われたら、そうなのかなと単純に思ってしまう様な人です。
コーチの発言を伝え聞いた我々は「何をバカな!」と憤りましたが、相手は学校側から認められているコーチ、我々にはそれを否定したり文句を付けたりする権限はありませんでした。

何度かシニアに行く様に勧めましたが、気の優しい彼は仲間を離れてシニアに行くことを良しとしなかったんです。

その後の2年半は彼にとってツライものだったと思います。
1年の間はピッチャーとしての練習はまったくさせてもらえず、2年になってもピッチャーではなく肩の強さから外野。3年でようやくピッチャーをやらせてもらえたものの、2年間のブランクは大きく、小学生のときはT君の控え投手だった子にまで抜かれ、エースの座を奪うことが出来なかった。

そのT君が高校でピッチャーを目指すために、Tコーチの元で朝練を開始したということでした。

その話を聞いて、私は兼ねてから気になっていた事をKコーチにぶつけてみた。

「今はキャッチャーをやっているけど、本人は高校ではやはりピッチャーをやりたいと思っている。今はキャッチャーとして向上するためにピッチャーとしての練習はしていないが、それでいいのか?」

Kコーチの答えは明快でした。

「○○の(Kコーチはまーぼとは呼んでません)一番の魅力はテイクバックからリリースまでの球持ちの良さだ。球の回転にしてもそう。だからこそピッチャーが一番向いている。逆に言えばピッチャー以外では○○は魅力的な選手ではない。今は肩の強さでキャッチャーをやってるけど、あれくらいの肩の強さの選手はいくらでもいる。俺は○○にはピッチャーとしての練習を続けて欲しいと思う」

高校卒業後は母校のコーチとしても数多くの素質のある選手を見てきたKコーチの答えに、私の気持ちは揺れました。一時はプロの指導者の話を聞いたりしている勉強熱心な人です。その人がそこまではっきり言うというはなにがしか理由があるはずです。私にとって未開の地である高校野球を知っている人ですし。

まーぼとはピッチャーへのこだわりについて何度も何度も話し合い現在の方針を固めていたんです。
本人の「今置かれた状況を全力でやるために」という強い思いでピッチャーを封印していました。
その思いを無にして、俺の受けた気持ちを押しつけるのはどうなんだろう。
正直悩みました。

悩んだあげく、全部まーぼに話すことにしました。
Tくんの事、Kコーチの言葉。それらをすべて静かに聞いていたまーぼが選んだ答えが朝練再開でした。
Kコーチの言葉が強く響いたことは間違いないでしょうが、やはりT君の存在が大きかったようです。
T君の野球部での処遇もまーぼのシニア選択には大きく関与していましたから。
そのT君とまた一緒に野球が出来るというのも喜びだったようです。

この選択が良かったのかは分かりませんが、私自身Kコーチを信頼しています。間違った方向に行くことはないでしょう。
今後は、朝練ではピッチャーとして、夕方の自主練ではキャッチャーとして2足のわらじを履いていくことになります。まだキャッチャーのスローイングの仕方が良くないことも事実ですから。
それはそれで、大変なことでしょうが、ストイックなまーぼはきっとやり遂げてくれるでしょう。
posted by かに at 15:07| 埼玉 ☁| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする